第一章 知事就任
「はは、これだけ大酒をくらっている老人が息子に意見はできんかもな。さあ、今晩は大いに飲ろうや。婆さんたちも大目にみてくれるさ。あっちじゃ、日本酒は手に入らんぞ」
いつの間にか、庭では冬の闇が深まり、小さな流れに架かっている丸橋に灯がともされている。こんな夜を迎えられて本当によかったと、光三はしみじみと思った。
赴任の前夜、光三夫婦は三人の子供たちと祇園に近い京料理かぶらむしの店で親子水入らずの夕餉を楽しんだ。白身の魚にすりおろしたカブをのせて蒸し、あんをかけた料理は美恵子の好物である。京都を離れる前に、家族で食べておきたい。光三の方は、赴任する前に今の心境を家族に伝えておくことにした。
「ワシは前にも言ったはずだが、県知事になりたくて内務省に入ったんだ。これまで三県で知事をやらせてもらってきたけど、今回の鹿児島は格別な気がするんだ」
猪首のうえで、頬が紅潮している。酒の酔いだけではなく、新しい任務への高揚感を子供たちの前でも隠せない。大学生の洋光が光三の盃をもらいながら、なぜ鹿児島の知事は特別なのかと訊いた。
「そりゃ、洋光。ご維新の原動力になった薩摩でだよ、まあ昔風に言えば殿さまになるんだからな」
ちょび髭が得意そうにうごめく。二人の娘たちが、殿さまだってさと顔を見合わせてクスクス笑う。それを美恵子が首を小さく振って制し、光三に酌をする。その目元が酒でいくらか赤味を帯びている。
「こら、笑うな。それにな、鹿児島県下の奄美大島はジイさまのご先祖の出身地なんだぞ。聞いたことがあるだろう」
次女の花奈子がかわいらしくうなずく。
「おジイさまが、奄美大島って南洋の大きな島だって言っておられたわ」
長女の芽衣子が、箸を置いて訊いた。
「お父さまは、あちらでもお休みには島に渡るの?」
「もちろん。鹿児島にはワシの好きな島がたくさん連なっているから、それも楽しみなんだ」