【前回の記事を読む】手軽な「ネット句会」も?日本語の美しさを味わう俳句の楽しみ

長寿について

私のこれからのテーマは「ただ末長く生きるのが良いのか? それともシューベルト=31歳、モーツアルト=35歳、ショパン=39歳、シューマン=39歳、芥川龍之介=35歳、宮沢賢治=37歳たちのように短い生涯でも、何か美しいもの(楽曲、絵画、詩、宝飾品、工芸品など)を残せるほうがよいのか、どちらですか?」です。

一昨年(2019年、暮れ)に突然倒れ、瀕死の状態で病院に運ばれ、そこの看護婦さんたちが何気なく話していたときのことを忘れることができません。

ある夜、「○○さん、長生きしたいんだって」 「何か良いことあるのかしらね? 困る人がいるんじゃない?」 

以来私の頭の中には疑問符ばかり。現在、長寿世界一はイギリスの△△さんが120歳でNo.1だそうですが、ギネスブックで長生きの記録を更新したとしても、本人の意識が朦朧として言葉も話せなくなり、記憶も定かではなくなり言動もおかしくなっても「おめでとう」と言われる事が嬉しいかしら?

「ギネスブックの記録を更新することだけが生きがいと思う人がいてもいいんじゃない?」

「そりゃそうだ」

以前お世話になった施設のI先生は、いつも「長生きする事は尊い事です、出来るだけ長く生きてください」と仰っていました。

ここまでためらいなく、言い切れる先生でした。I先生の人生観、哲学なのでしょう。自分も自分の来し方を「よい人生だった」と肯定できるようでありたいです。

「尊かったか、否か?」は“God only knows”

私はこれからの地球の事を考えると、余り長くは生きていたくありません。①人口爆発②食糧難③少子高齢化④環境汚染⑤戦争・局部紛争⑥気候変動・災害⑦貧困などはこの地球上から消えることはありません。インターネット・デジタル犯罪、インターネットによる情報過多、人間の基本的なモラルの低下なども目に余ります。これからの私たちは人間の品位と尊厳を崩すことなく生きてゆけるでしょうか?

人間の欲望に歯止めがかからなくなりそうです。ソ連、中国、アメリカは既に宇宙戦争を考えており想像するだけでも恐ろしい。

長生きして人類の滅亡を見るのは“No thank you”

私は、「長生き」するのは決して楽ではないと実感しています。何よりも体がしんどくなるからです。身体が自由に動かせて、どこにでも行けて(行動の自由)、誰の世話にもなることなく自立ができれば問題はないと思います。自由にものを考え表現(思想、表現の自由)できさえすれば生きていられると思っていました。

この基本的な自由なしで生きるのは酷です。今は車椅子の生活を余儀なくされていますが、これにも我慢の限界があります。この先何十年も行動の自由を奪われたままでいられるかは自信ありません。夢も果たせないままでも、この世を去るほうがいいような気持さえしています。無理に長生きはするべきではないとすら思っています。