第2章 ナイスデイへの歩み

開設当初のナイスデイ

ケアマネージャー制、要介護度認定制度等を備えた介護保険制度に対する期待も大きく、開設当時のナイスデイに対する世間の注目はとても高かったです。要介護認定会議で要介護度を認定された人が、ケアマネージャーに紹介されてデイケアを利用されるのです。

開設してまず驚いたことは、デイケアに親を預けるなんて、親不孝者のすることだ、家族がケアするべきだという考え方がまだまだ強くあり、送り出す家族も本人も、世間の目から隠れて、恥ずかしそうにしていることでした。特に老親を送り出す家族はそのことを隠したいと思っていました。

このため厚労省はプライバシー保護をかなり重視し、利用者のことは一切話さないほうが望ましいというスタンスをとっていました。

開設当初の利用者さまの姿

デイケアを始めた当初、高齢者はこういう集会に参加して、介護を受けるという習慣があまりなかったので、利用者さまはとても戸惑っておられました。このような施設にいること自体、恥だという気持ちもあり、スタッフの言うことに反発する利用者さまがおられ、反抗したり、大声を出したり、外に出ようと騒いだり、徘徊したりする方が出てきて大変でした。一人の方をつきっきりで相手をしないと収まらない場合も多々ありました。

一日が終わると、くたくたになっていました。利用者さまが、一つのコミュニティとしてまとまるなんていうことは夢にも考えられませんでした。ほとんどの人が自分中心で、自分さえ良ければ、他の利用者さまの存在など、どうでもよいという感じでした。

何とか改善しようと、利用者さま同士が互いに関心を持ってお話をされるようになればと思い、月刊で発行する機関誌の『ナイスデイ通信』に利用者さまのライフストーリーを載せてみました。これに載った方がすごく喜んでくださったので、今も続いています。

スタッフ間の問題

スタッフはそれまでどのような姿だったかというと、利用者さまたちが、それぞれ自己主張をされるので、それを聞いて納得されるように介護をするのは大変でした。こういうことの扱いにたけている人は、仲間から大事にされるので、その人に頼ることになり、平等意識は育ちにくく、スタッフとしての一体感は育たなかったのです。何とか互いが、近づき助け合うようになる必要を感じました。

そこでデイケアの管理職3人を一年毎に一人が入り、一人が出るという交代制にしたのです。このことによって管理職が固定せず替わり、常勤の全スタッフが管理職を経験するので全体のレベルが上がり、しかも管理職と一般スタッフが固定しないので一体感が出るようになったと思います。

また、ポイント制を採用し、何とか一体感が醸成されるように工夫しました。この制度は、スタッフの誰かが良い介護をしたと思ったときに、小さなメモ用紙にそれを書いて箱に入れ、書いた人と書かれた人それぞれに1ポイントが与えられるというものです。集計して商品券に替えて渡す制度を考えました。これによって、スタッフ同士の仲はとても良くなりました。

何でも競うと、必死になるもので、良い介護をめざして頑張るようになりました。2年ほどするとこの制度も飽きられてしまいましたが、スタッフ同士の一体感はとても強くなりました。残念ながら利用者さま同士のほうは一体感を持つようにはなりませんでした。