しかしやがて利用者さま同士が一体感を持つようになっていかれたのです。今では集団全体が治癒的になり、メンバーを癒すようになっています。それまでには長い道のりが必要でした。

個人療法から集団療法へ

長い道のりの中では、大変な事件も起こりました。

お話を聞いてほしいという思いを持つ利用者さまがおられる場合、スタッフが時間を取って聞いてあげたりすることで、個人的に利用者さまの悩みを解決してきました。しかしある時、事件が発生しました。利用者さまが『ナイスデイ通信』(自身のライフストーリーが載った)をポケットに入れて嵐山の渡月橋の近くで、大堰川に入水し、亡くなってしまったのです。

ポケットの通信を見た警察からナイスデイに電話があり、驚きました。原因は家族との人間関係にあるようでした。あるスタッフがその方の悩みを聞いて、励ましていたことがわかりました。とてもショックでした。担当のケアマネージャーは若い人で相談相手にはならなかったようです。

さらに驚いたのは死ぬ前に投函された葉書が、次の日にナイスデイに届いたことです。

「迷惑をかけて申し訳ない、良くして頂いてありがとう」

と読みにくい字で書かれていました。この時にナイスデイの集団がもう少しオープンな場で、誰でも話せるような治癒的雰囲気を持たせることができていれば、防げたかもしれないと考えました。自分は医者として心理療法を少しかじっていたのでこの辺りのことはある程度わかっていたのです。

しかし現実的にはどうすれば良いかわかりませんでした。従来の心理療法では、精神分析的なカウンセリングが主流で、個人個人を対象にしていました。集団を癒しの場にすることなど、精神分析的なやり方では不可能でした。

ましてデイケアのような要介護者で認知症気味の高齢者が集まっておられる場では、とても治癒的な雰囲気を望むのは不可能と考えていました。この考え方がある日を境に激変していきました。

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