彦坂が定期的に訪ねていく、和子の住む家には名前があった。「ひまわり荘」という名前であった。和子はひまわり荘、すなわち自己が所有する自宅兼アパートの一階に住んでいた。
その場所はJR蒲田駅東口を出てしばらく商店街を歩き、呑川に架かる「あやめ橋」を渡った先にあった。和子が亡き夫と建てた古い木造二階建家屋であった。二階は夫の死後アパートとして改造し三人の者に貸していたが、かれらはみな生活保護受給者であった。真夏になると毎年アパートの敷地の狭い庭には、そのアパート名をあらわす大輪の向日葵が咲き、和子やアパートの貧しい住人たちの生活に夏の彩りを与えた。
後見契約をした年の最初の面談の際、和子が彦坂に言った。
「彦坂さん。これからはわたしのことを、白鳥さんでも、和子さんでもなく、『和子さん』と呼んでください。わたしはだれからもいままで『和子さん』と呼ばれていました。だから、そのほうが落ちつきます」
「えっ、『和子』さんですか?」
「わたしの小さいとき父が『君の名前は平和の和、だから、和子』とからかって言ったのです。それを受けてわたしもみんなのまえで『わたしの名前は平和の和、だから、わこ!』と言っていたら、周りもみんな『和子』と呼ぶようになったのです」
彦坂は「白鳥」という苗字を気に入っていて、それを発音することを内心好んでいたのだが、和子は、和子で、どこか高貴な響きがあり、またいつかどこかで聞いた名前でもあるようで、そう呼ぶことを承諾した。