「閣下の出馬の、どこが気にくわなかったのでしょう」

「あの時期、陸軍の中枢で権力を掌握していたのは、参謀本部作戦部長の石原莞(いしはらかん)()と陸軍省軍事課の武藤(むとう)(あきら)の二人じゃった。二・二六事件で皇道派を根だやしにしてからは、統制派の天下で、特にこの二人が陸軍部内を押さえておったというても過言ではない。

その頃、連中は『国防国策大綱』を作って、対ソ連戦備の飛躍的な充実を唱えていたわけよ。これはそれまでとは打って変わった大がかりな軍備の拡大計画で、予算の規模は国庫歳出の四十七%が軍備費という膨大なものだったようだ。

この計画を推進するために彼等は、林銑十郎を首相に据えようとしていた。林なら自分たちの思うままになるが、もしわしが首相に就任すれば、計画進行に大きな障害だと見ていたらしい」

「それで、あくまで阻止しようとしたのですな」

「そうよ。二度の軍備縮小を成し遂げたわしを、拡張路線の邪魔者と見たようだが、何ともはや視野の狭い連中だよ。それにつけても、七年あまり前に暗殺された統制派の親玉の永田(ながた)鉄山(てつざん)が、もし生きていてくれたらと悔やまれるところだな」

「では、閣下が内閣を組閣されても、やはり軍備を増強されたのですか?」

ボースは重ねて追及した。

「さよう。昭和十二年と言えば、満州事変とナチス・ドイツの急激な勃興をきっかけに、世界の風潮は大きく変わっていた。一次大戦後の平和路線は影をひそめ、再び動乱の時代が始まろうとしていたのだ。来るべき第二次世界大戦をいかにして生き抜くか、そのためには軍備拡張もむろん必要だが、それだけでは済まぬ。わしは政治も経済も国民の意識も抜本的に革新せねばならぬ、いまこそ明治維新以上の改革が不可欠だと考えておった。さらにそれを成し遂げることが、わしの使命だと確信しておったわけよ」

宇垣は力を込めて言い切った。そこには寸前で政権を取り逃した者の、万斛(ばんこく)の想いが込められていた。

「閣下のお気持はよくわかりました。ご要望の通り、我々の歴史再生プロジェクトは、一九三七年一月の宇垣内閣発足を起点といたします」

汪はそのように述べて、明日の再会を約束した。

「では、わしはどうして戻ったらよいのかな」

「お出でになったときと同じです。この部屋を出られて廊下を右に向かい、十歩ほど歩かれるとご自宅の寝室に着きます」

汪が答え、三人は席を立って、それぞれに会釈を交した。

「それでは、明晩お待ちしております」

「うむ、わしの出番がいつ来るのかと待ちかねておったが、こういう形があったとはなあ。やはり長生きはするものだ」

半ば独りごとのような言葉を残して、宇垣は部屋を出て行き、廊下の足音は十歩ばかりでフッと途絶えた。