序章
天井がやや低く、四方にはがっしりしたマホガニーの壁板を張り巡らせたその部屋は、中央区永田町にある首相官邸の地下食堂だった。
時は、昭和十八年、四月十八日。白く塗られた天井には、シャンデリアが二個輝いているだけで、他に調度類はない部屋の中央に、大きな黒い漆塗りの丸テーブルがあり、三脚の椅子が向かい合って置かれていた。二人の男性が、それぞれ椅子に腰掛けているが、もう一脚は空席である。やがて、その一人が語りかけた。
「主席、今日は何が起きた日か、ご存知ですか?」
問いかけられたほうは、卓上に両肘をついて何か考え込んでいたようだが、ゆっくりと身体を起こした。
「今日は確か四月十八日でしたな。年代が一九四三年と言えば……」
よく響く声には独特の精気が溢れている。浅黒い精悍な風貌は、褐色で開襟の軍服を身につけていた。
「そうです。一九四三年の四月十八日は、日本海軍にとって、まさに運命の日でした」
ゆったりとした口調で話を続けている人物は、黒いモーニングを着込み、濃いグレーのネクタイを締めている。
「前の年の四二年四月十八日には、ドーリットルの指揮で東京空襲がありました。そして今年の同じ日に、山本五十六連合艦隊司令長官が戦死したのです」
「そうでした。山本のソロモン海域での戦死は、米軍機の待ち伏せによるもので、いわば暗殺というべきだが、これは暗号電文が解読されたためでしたな」
低いがよく通る声には、沈痛な調子が含まれている。
「彼の死は、まったくの突発事故でした。日本は大きな衝撃を受けています」
「しかし汪先生、山本を失ったということは、日本人の想像をはるかに超えた致命的ダメージでしたよ」
「つまり主席は、それで戦争早期終結の可能性が消滅したと言われるのですね」
汪先生と呼ばれた中国の南京政府代表の汪兆銘は、微笑を浮べた口調を変えていない。
「おっしゃる通りです。硬直した官僚組織のままで戦時態勢へ移行した日本海軍には、有能なリーダーがほとんどいませんでした。戦争の実情は、日露戦争当時とはまったく変わっているが、その激しい変化に対応できる指導者は、あの時点で山本だけでした」
明確に言い切っているのは、インド独立運動の立役者であり、シンガポールでインド独立軍を率いていたスバス・チャンドラ・ボース主席である。二人は言葉を切って、それぞれの想いに浸っている様子だった。
もちろん、この両人がこの時期この場所に居合わすのは、歴史上あり得ないことである。これは、異なった時空間に構成された別次元の、あるいは多重世界での現実というべきだろう。