【前回の記事を読む】【歴史SF】陸軍大臣・宇垣一成が歴史修正のキーマンになる?

政権

「主席が言われる通り、一九三一年の三月には、軍事クーデターを起こし、宇垣陸相を首班にした政権を設立する計画がありましたが、未遂に終わっています。いわゆる三月事件です。また九月には関東軍が軍事行動に踏み切り、満州事変が勃発しました。さらに十月には、再び東京で軍事クーデター未遂の十月事件が起きています」

「まことに多事多難ですが、これはこれまで続いた政党政治の終末期でしたな」

「そうです。翌年の三二年五月、犬養(いぬかい)(つよし)首相が海軍の士官たちに射殺された五・一五事件でもって、二大政党による政党政治は息の根を止められました」

汪は淡々と述べている。

「では、一九三一年の三月を起点とする新たな歴史の流れは、三月事件を自らの手で中止させ、陸軍大臣を辞任して朝鮮総督に移った宇垣の行動を、大きく変化させることになりますな」

「おっしゃる通りです。一月から準備されていた軍事クーデターが、そのまま三月十九日に実施されるというのが前提です」

「だが汪先生、軍事政権が成立して、強大な権力が集中した場合、それを使いこなす能力が彼にあるのでしょうか?」

「それは、これから始まる歴史の流れを辿ってみないとわかりません。ただあの時期、軍部でも政財界でも宇垣は非常に高く評価されていました。それというのも、彼は一九二四年から三一年までの七年間、ほぼ連続して陸軍大臣を務め、その間に二回の軍備縮小を成し遂げて陸軍の近代化を進めたことや、政界、財界とも良好な信頼関係を築いたことによるものです。

いずれは首相にと期待する声が高く、本人も満々たる自信を抱いていたようです。三月事件を自ら中断させたのも、そのような非常手段によらなくとも、正当な政治的手段で政権を手に入れることができるとの判断だったとされています。

事実、六年後の一九三七年、宇垣に組閣の大命が下りるのですが、すでに軍部内の情況は大きく変化していて、陸軍中堅クラスの猛反対で結局、組閣断念に追い込まれ、宇垣内閣は流産してしまいます。それからあとは、戦争が終わるまで首相としての彼の出番は一度もありませんでした」

汪はまるで講義するように、説明を続けていた。