「主席、いかがでしたか?」

「確かに宇垣一成は大物です。戦時宰相としては、彼に勝る人材はいないでしょう。戦時中の日本の最大の弱点は、独裁的なリーダーがいないことでした。軍事も政治も経済も外交も、そのすべてを統括できる、いわゆる絶対者が存在しない。例えばアメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、あるいはドイツのヒトラー、ソ連のスターリンと肩を並べられる人物が何としても必要でした。だからここは宇垣の登場が待たれるところですな」

ボースの言葉を受け汪が言う。

「当時、彼に匹敵する政治家として近衛文麿がいました。家柄や若さで多大の期待を集めたのですが、日本が彼に国運を託したのは誤りでした。ですから、近衛ではなくて宇垣だとする今回の選択は、その進展がまことに楽しみです」

汪とボースは、なおも語り合っている。

「ところで汪先生、宇垣の欠点は何だと思われますか?」

「私は彼の独断的な一面や、ややもすると協調性に欠ける点を懸念しています。

例えて言えば、さきほど話に出た参謀本部の石原莞爾です。満州事変の立役者だった彼は、このとき作戦部長でしたが、前年の二・二六事件では戒厳司令部を動かして叛乱の鎮圧に大きな功績があり、さらに当時は、軍備拡大の五ヶ年計画の主導者の立場にありました。この特異なキャラクターを果してうまく使いこなせるかどうか。

さらには、常に対抗意識を持ち続けている海軍当局といかに協調するのか、これまであまり接点のなかった海軍省や軍令部をどのように制御するのか。そのあたりが問題ではないでしょうか」

「確かに、汪先生の指摘される通りです。ところで確認しますが、明日のシミュレーション開始にあたって、宇垣一成の記憶には何が残っているのですか。例えば、さきほど交された討論などは……」

「ああ、それは全部消去されます。一九三七年一月の宇垣は、その時点として当然の知識や記憶しか持っていないのです」

「わかりました。では発進時期変更の手続きを、よろしくお願いします」

汪とボースの対話が終わると、二人の姿は急速に色褪せ、そのままあとかたもなく消滅した。あとには、黒い大きな漆塗りの丸テーブルの表面が、シャンデリアの光を穏やかに照り返しているばかりだった。

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