第一章 アオキ村の少女・サヤ

「おそい!」

「ひぃっ、ごめんなさい!」

そういうのは効かない性格だったと、改めて思った。黒目が濃く、鼻梁の高い精悍な顔立ちをしている彼が怒った時の迫力は、雷よりも恐ろしい。

「村のみんなが働き始める前に空読は終えとくもんだって言ってんだろ! もう昼前だぞ、もっと早くなんねえのか!?」

「あははぁ……頑張ってるんだけどまだ慣れないや。ごめんなさい、サラお姉ちゃんみたいにできなくて」

カズマは愛想もなくフンと口をへの字に曲げた。

「謝るならさっさと出来るようになれってんだ。空読はお前しかできねえんだから」

カズマは数歩先に転がっている木剣を拾い上げ大儀そうに振り向いた。機嫌の悪そうな表情にサヤはびくっと肩をすくめる。カズマはその反応を見てきまりが悪そうにため息をついた。

「転んだの、大丈夫だったか」

「えっなんで知ってるの! まさか見てた?」

「バカ言え。櫓の上であんなデカい音鳴らしてたらそりゃ気づくだろ」

「それもそっか、あはは」

「……サヤ、お前は自分をもっと大事にしろ。それはお前だけの体じゃないんだからな」

「うん、がんばる!」

サヤはぱっと笑顔になって答えた。カズマのことは実の兄のように慕っている。自分より三歳年上のカズマはなんでもすぐに怒る短気な性格に見えるけど、本当はサヤの身を一番に案じてくれる心優しい少年だ。体はガッチリとして声も大きい彼は怖い時が多いけど、たまに見せる優しさには温かい心が込もっているとサヤはいつも感じていた。

「カズマ」

「なんだ?」

カズマの目をじっと見つめてみた。たくましく勇まし気な顔とは裏腹に、その黒目は大きく丸い形をしている。

「……なに人の顔見てニヤついてんだよ」

「うぅん。なーんでもない」

「はぁ?」

「えっへへ、いつもありがと」

「あぁ? お、おう」

その手に提げた木の直剣は彼のまっすぐな心を表していた。サヤが櫓で観測している間、彼はずっと下に立って自分の安全を守ってくれていたのだ。空見櫓は森の中にある。ゆえに空読の役割は危険が多い。カズマは、サヤが初めて空読をおこなった時からいつも一緒について来てくれていた。そんなカズマをサヤは幼い頃から大好きだった。

「空読の結果は夕方から雨だったな。村のみんなに伝えに行こう、ほら、早く帰るぞ」

「うんっ」

大きな背中を追いかけるようにサヤは小走りで帰途についた。櫓のある丘を通う坂道はつづら折りになっていて徒歩で行くには骨が折れる。木々が頭上に迫る山道を二人は慣れた足取りで下る。木漏れ日が差す中には緑色の風が吹き、草木の間からは夏の匂いが漂っている。