2 一切皆苦

一切皆苦は、パーリ語では、sabbe saṅkhārā dukkha と書きます。一切の形成されたものは苦である、と訳されています。

これを、現代の日本では、『人生のすべては苦である』と言う意味だと思われています。ここで、仏教に躓いたり疑問を持つ人が多くなります。

人生のすべてが苦しみというのはあまりにペシミズム(悲観主義)ではないか、とか、そんなことはない、人生には苦しみもあるけど、楽しみもいっぱいある、どちらもあるのが人生ではないか、と思う人もいるでしょう。

まず、『sabbe saṅkhārā dukkha』は、『人生のすべては苦である』と言う意味ではありません。『一切の形成されたものは苦である』と言う意味です。

諸行無常の諸行もsabbe saṅkhārāでした。一切皆苦の一切もsabbe saṅkhārāです。苦=dukkha は、仏陀の教説の核心です。仏陀は、苦と苦の滅のみを説いた、と言っています。

この苦=dukkha が分れば、仏教のほとんどがわかると言ってもいい最重要語です。『苦を苦と知らない』のが私たちなのです。仏陀在世中はともかく、後世の人たちは、この、仏陀の説いた『苦=dukkha』を本当には理解してこなかったと思います。部派仏教になってからは、「dukkhaとは苦しみという意味ではない。空しいとか無価値であるという意味である」というような解釈になっていきます。

しかし、仏陀のいうdukkhaとは、苦、苦しみです。激痛といってもいいくらいの苦しみです。すべての人には矢があたっているのです。矢に貫かれているのです。それも、毒矢です。苦しみ以外の何物でもありません。空しいとか無価値というものではありません。

『要するに、五蘊の集まりがdukkha(苦)なのだ』と仏陀は言います。五取蘊(ごしゅうん)()です。dukkhaの洞察は、仏教の最初の一歩であり最後の一歩なのです。