このように第3楽章は、明、暗、明、暗、明と繰り返される。明の部分も穏やかで優しい音楽であるが、暗の部分はとりわけ素晴らしい。最愛の人を亡くした人が切々と悲しみを訴えているように聴こえてならない。
「私はこの悲しみからどのようにして抜け出すことができるの?辛すぎて私にはとても無理です!」
と言っているように聴こえる。それを受けて、「本当にそうだね。悲しいね! 涙が枯れるまで泣いていいのだよ。そうしたらきっと生きる希望が湧いてくるよ! 悲しみから抜_けだせると信じて頑張ってね!」、そうモーツァルトが励ましているように聴こえてならないのである。
第3楽章のロンドの音楽にこのような悲しみの音楽を入れることはモーツァルトでも珍しい。その理由はなんであったのか? ザルツブルクの大司教との軋轢から逃れ、希望に溢れるウィーンでの自由な生活。でも時折、母の死やアロイジアとの失恋等の悲しみが襲ってくることもあったのではなかろうか。悩める人の手助けになればと、このハ短調の部分を挿入したのであろうが、自分自身もこのハ短調の旋律に癒されたかったのではなかろうか。
モーツァルトはたいそうこの曲が好きであったように思われる。何回も繰り返し演奏会で取り上げたことが知られている。ザルツブルクの父にあてた手紙の中でも、ピアノ協奏曲第11番と第13番はとてもいい作品であると書いている(1782年12月28日、モーツァルト書簡全集第5巻、313〜314頁)。よほど愛着と自信があったのであろう。
私の愛聴盤はイングリット・ヘブラーのピアノ、サー・コリン・ディヴィス指揮、ロンドン交響楽団の演奏である(CD:フィリップス、DMP-10010、1965年10月、ロンドンで録音)。ヘブラーは音の粒を揃え、優しい音で演奏している。ヘブラーの真珠の輝きのようなピアノの音がモーツァルトの音楽にはぴったりである。ヘブラーはすべての楽章ともカデンツァをモーツァルトの作品で演奏してくれている。40年以上も繰り返し聴いているが、聴くたびに新たな感動を覚える名録音である。