【前回の記事を読む】モーツァルトが20代半ばで完成させたドイツ歌曲とは?
日本映画『二十四の瞳』とモーツァルト
また、映画『二十四の瞳』は観客に木下惠介監督の思いがはっきりと伝わってくる作品になっている。
一つには自由に自分の意見、考えが言える社会こそ、いい社会であると訴えているのである。
二つ目には、人間が犯す犯罪の中で最も残酷なのが戦争であるという主張である。理由が何であれ、絶対に戦争を起こしてはならないと訴えているのである。日本国憲法は第二次世界大戦後アメリカ軍によって押し付けられたものではあるが、戦争放棄を高らかに謳っている憲法第9条を、多くの日本人が誇りにしているのである。日本人はそれを守ってきたのである。
2000年代に入り、日本政府は自衛隊という名の軍隊を益々拡大してきた。さらには憲法を改正して自衛隊という名前を憲法第9条に明記しようと目論んでいる。日本政府の高官も戦争を知らない世代の人がどんどん増えているのであるが、たとえ戦争を知らない世代の人であっても二度と戦争を起こしてはならないと決意すべきである。
日本の国会議員には第二次世界大戦後ロシア軍によって占領され、支配下になった北方領土を取り返すためには、ロシアと戦争すべきであると豪語する人も出てきているのである。残念でたまらない。
私はこの『二十四の瞳』を見るたびに、決して戦争を起こしてはならないという決意を新たにするのである。モーツァルトもザルツブルクの大司教との軋轢を除いて、人との争いを決して起こさない人であった。音楽に関して批評することはあっても人と対立することを好まなかった。むしろ、世渡りが下手で人に騙されたり、歌劇の上演を妨害されたりすることが多かった。
しかし、モーツァルトは心底人を恨んで傷つけたりすることはなかった。『二十四の瞳』の主人公の大石先生のように、弟子を可愛がり、励まし、共に音楽を生きがいとして短い人生を駆け抜けていった。
モーツァルトの手紙には、戦争や政治のことがあまり触れられていないが、それは彼が人と争うことを好まなかったからであろう。『二十四の瞳』では童謡を使うことによって物語に奥行きと叙情性をもたらした。『二十四の瞳』が私たちに与えてくれる情感や詩情豊かで叙情的な映像美は、モーツァルトの音楽が与えてくれる、詩情や叙情性と通じるところがある。
その上、モーツァルトは子供のための歌曲を作曲することによって多くの子供たちのへの贈り物も残してくれた。音楽と映画という芸術の表現こそ違え、この『二十四の瞳』もモーツァルトの音楽も、平和と人類愛の尊さを後世の人に伝えてくれているのである。