杉山寿栄男さんとの資料収集旅行

治宇二郎は一九二六年(大正一五)六月、縄文土器やアイヌ工芸の研究者杉山寿()栄男(えお)さんと資料収集の旅に出、甲信越から山形、仙台、石巻を周った。その結果は杉山寿栄男さんの編著書である『日本原始工芸概説』と著書の『原始工芸』に記されている。

私が治宇二郎の資料を求めて各地を訪ね歩いた折、この両書について、「治宇二郎が書いたものと言われるが、その記録はないのか」と何人かの人に聞かれた。記録自体はないが、協力者として執筆した部分はあると思われる。

遺物をスケッチした治宇二郎の膨大なカードが残されており、後年親友となった数学者岡 潔さんの随筆によっても、セツの話によっても、三万枚はあったと思われるが、現在残っているのは約半数である。

このカード作成にあたり、杉山寿栄男さんとの旅で得たものが役立ったのは確かと思われる。八月からは山形、仙台、石巻および岩手県、青森県、北海道へと調査旅行を続けた。九月二五日に東大理学部に「理学部会談話会」が組織され、治宇二郎はこれに加入した。同二七日発行の「帝国大学新聞」には、「自然科学の総合研究を目指して理学部会談話会生まる」という見出しで、次の記事が載っている。

「理学部においてはナチュラルサイエンスの総合的研究をはかるため、談話会なるものを組織して、まず第一回を物理学部と人類学科の司会のもとに去る二五日午後一時から数学第一号教室で多数の学生の列席のもとに開かれた。主なる話題は次の様なものであった。日本石器時代の話 中谷 新高山の登山 小沢 台湾生蕃の生活 □谷〔□は文字不明〕」

治宇二郎は一九二五年(大正一四)一二月五日、東京人類学会第三八九回例会で「石器時代の土瓶型土器に就いて」と題して講演した。