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京王永山七時三十分発の新宿行き急行は、想っていたほど混んでいなかった。空席こそないが、車両のなかほどには十分なスペースが残っていた。
左沢は吊り革ひとつ分のスペースを確保すると、新聞を縦にふたつ折りにした。こうすることで、蛇腹のように捲りながら肩幅の範囲で読むことができる。彼が短いサラリーマン生活で身につけた世慣れのノウハウのひとつというもので、混雑する車内で新聞を読むスタイルだ。
左沢は一面トップのリードを読んだだけで目を車窓に転じた。
ドミノ牌を並べたように、同一規格のアパートが丘陵の頂上まで続いている。多摩ニュータウン計画第一次完工エリアのアパート群だ。すでに半世紀近く経過しているが、メンテナンスが行き届いているのか、目立った瑕疵もなく、むしろ新築のアパートにはないしっとりとした落ち着きさえ見せている。
左沢は、今車窓に展開する同じような環境で育った。
山形出身の父は、高校を卒業してすぐに川崎の電機関係の会社に就職し、十年後、同じ職場の女性と恋愛し家庭を持った。結婚してしばらくは会社近くの風呂もない2Kの木造アパートに住んだが、左沢が生まれると、3DKの市営住宅に移った。
東急田園都市線の沿線に開かれたこの団地は、多摩ニュータウンと同様に、いわゆる団塊世代の婚期到来に伴って急増する住宅需要に応えるために、川崎市が開発したものだった。左沢はここで中学二年の二学期まで過ごした。
左沢は車窓をぼんやり見ながら、小学生の頃に思いを馳せる。