第一章 北海道
この北の地に比羅夫なる駅があることに奇異を抱く方が多いと思うが実はニセコに登ることを告げた父より飛鳥時代に日本海を、大軍団を組んで攻め上がり蝦夷を討った阿倍比羅夫がこの広大な地に政庁を置いたことから付けられた駅名であると私は聞いていた。
更に、比羅夫の近くには太古の時代から人が住み付き、縄文人が祭祀として使っていたと思われる不思議なサークルストーンが山々を拝むかのように並んでいるともきいていて、この地は壮大なロマン溢れる北の大地なのである。
登り詰めた厳冬のニセコの山頂の雪庇の影は風下になっていて温もりさえ感じられた。
しかしその下は足がすくむほどの真っ白な大斜面が遥か麓の灌木林まで落ちていっている。太陽に輝く大斜面には蟻の行列のように主峰を目指すグループが幾筋も山の斜面に張り付き登って来るのが見えた。
私は父から借りた長いシールを腰回りに巻き付け、回転する度にリュックサックが左右に振られないよう紐で腹回りに縛り付けて主峰の雪庇からその大斜面に飛び降りた。あとは全て私の世界であった。
深雪であっても後傾姿勢にしてスピードに乗るとスキーのベンド(先端の反り)が雪面に浮かんで雪の抵抗力が無くなる。その状態で大胆にターンをすると、まるで空中を飛んでいるかのように自由に方向を変えることができる。アリンコの列は皆立ち止まってそれを見ている。豪快な大滑走も僅か二、三分で終わり一気に千メートル台地の灌木林まで滑り降りた。
父からくどい程聞かされていたのは山小屋のある沢に降りる目印の尾根を見失わないことであった。
私はその尾根から急斜面の沢を下って山田温泉の湯元、岡田さんの山小屋に滑り降り、そこで昼飯を食べてから比羅夫駅まで下り室蘭に帰り着いた。父親の助言は、吹雪いたニセコの山では岡田さんの山小屋に降りる沢を見失ってはならない。間違った沢を下ると深雪で戻れず遭難する危険があるとの厳しい戒めであった。
その六年後、岡田さんの息子さんである幹夫さんに大変お世話になった。幹夫さんは日大スキー部アルペンチームの主将を務めたあと、山小屋の主となって札幌冬季オリンピック招致運動の際、日本では雪が降らぬと言われて苦戦して製作した招致映画に登場したのだ。
冒頭のナレーションのあとに豪雪のニセコが大写しになり、その頂上から私がやったと同じように飛び降りて深雪の大斜面を白い雪煙を上げながら降りたのである。
滑りから岡田さんであることがすぐにわかった。