第2章 火星人の遺跡発見

地獄のような大惨事から6600万年後。

火星の地表を観察していた日本の資源探査衛星が、南米ナスカの地上絵のような模様を発見。

「オイあれなんだ。絵みたいに見えないか」

「本当だ、鳥のようにも蝶々のようにも見えるな」

「ナスカの地上絵のようだな」

「昔火星にも水が流れていたと聞いていた。その水が流れていた頃にできたのだと思うが、実にうまくできているな」

「それに、あの地上絵から北に1キロメートルほど行ったところに四角く細長い田んぼのようなものが整然と区画されているが、あんなものが自然現象でできるのか」

「あーあれね。自然は時たま人間が考えることができないような芸術を演出すると言うからな」と、微笑んで答える。

隊員の間では「火星の地上絵」と「火星人の田んぼ」とロマンチックに語られ評判になった。当然、人工物なんかであるわけもない。かって火星の創成期の時代にあった、水の流れと風紋による自然の悪戯であるとしか考えられずに、観測隊員たちは親しみをもって「鳳凰の羽ばたきバードフィーダー」と呼んでいた。

それは、山のふもとより扇状に広がる一辺が3キロメートルほどの三角な模様、それはまるで山から水が流れてできる扇状地のように見える。その扇の要の所からまっすぐ伸びた扇の円周の端から飛び立つような鳥の模様。

鳥の翼の幅は2.5キロメートル。頭と尾の長さは2キロメートルもある巨大な模様で、宇宙から眺めてもくっきり見えるほど鮮明な模様であり、火星人が作った物に違いないとSF好きな隊員の間ではまことしやかに話題となっていた。