政権

「しかし、日本海軍の中には、山本五十六のあとを継ぐ人材がいるかもしれません」

ボースが言うが、宇垣は聞き入れない。

「それは若い世代にはおるかもしれん。だが、いまの首脳部には、航空戦を主体とした新しい形の戦略を存分に動かせる者は一人もおらんよ。それはやらせてみればすぐにわかることだ」

宇垣はさらに続けて言った。

「そもそも、あの開戦自体が無理筋なんだ。十六年夏頃のドイツ軍の対ソ快進撃に幻惑されて、つい南部仏印まで手を出したのが事の始まりだからね。当の海軍も、全面的に米・英と戦う覚悟はなかったのじゃないかな」

「それでも、南方攻略の初期の戦況はまことに順調でした」

「というのも、ハワイ奇襲で米太平洋艦隊が潰滅したからだ。戦前の米軍の想定では、開戦後間もなく起きる艦隊決戦に勝利して、フィリピンやマレーに上陸した日本軍はすべて追い落とし、一年以内に日本が降伏すると予測していたのだからな」

「その想定を覆したのが、山本五十六だとおっしゃるのですな」

「その通りだ。真珠湾攻撃という(はな)(わざ)を実現させたことで、彼我の戦力比が逆転したんだ。いうなれば、日米戦の勝敗の鍵は、山本が握っていたといっても過言ではあるまい」

宇垣は力を込めて断言した。

「これは驚きました。閣下が山本長官をこれほど高く評価されていたとは知りませんでした」

汪兆銘がそのように受けて、さらに続けた。

「しかしながら、昨年六月のミッドウェイ海戦の敗北で、山本の能力の限界は明らかではありませんか」

汪の言葉には、山本に対する好悪の念は含まれていない様子だった。