「孫三郎、これより兵を連れて興福寺一乗院に向かい、覚慶様を保護する。供をせよ」
すぐに兵を連れて、本庄孫三郎とともに儂は興福寺一乗院に向かった。
「僧であるこの身に刃(やいば)を向ける気かぁ」
と、押し寄せた兵を覚慶様は恐れられたようであったが、鎧を着けない平服姿の儂が、そうではないことを告げると、御安心なされた御様子であった。
「御門跡様に申し上げます。この松永弾正、貴方様の御命を奪おうなどと、毛ほども思うておりませぬ。その証として、ここに誓紙を持参いたしました。どうか心安んじられますよう」
恐縮の意を示した儂は、懐から誓紙を取り出し、捧げた。
「かくなる上は、義久をこそ、ひたすら頼みにするほかはなし」
という内容の文(ふみ)を覚慶様にしたためていただき、儂の添え状とともに、この日のうちに京の久通に送った。
一計を案じた儂は、もう一手打つことにした。
ちょうどこの時期、朝廷は禁裏の修繕費用と誠仁親王の元服費用に関して、将軍義輝公及び義重様に献納を求めていた。しかし義重様と側に仕える久通らはこれに応じようとしなかった。
そこで此度、儂が内々に負担し、表向きは義重様が献納したように装った。
その代わりに、事変の折に伊勢貞助が二条御所から持ち出し、内裏預けとなっている〈御小袖〉という鎧が納められた唐櫃の引渡しを、広橋国光卿を通じて、儂は朝廷に請願した。そしてその受取人は、覚慶様ではなく、あえて三好方に下賜していただくようにした。
〈御小袖〉とは、足利将軍家重代の家宝で、これを所有する者が即ち源氏の嫡流を意味し、将軍の象徴でもあった。覚慶様が〈御小袖〉を放棄することで、将軍位を目指す気持ちなど更々ないことを内外に示し、覚慶様のお命に害が及ばぬようにしたのである。いま一つは、儂が三好党に同心していると見せかける狙いもあった。