二十一年夏六月の壬辰の朔甲午に、近江毛野臣、衆六万を率て、任那に往きて、新羅にやぶられし南加羅・㖨己呑を為復し興建てて、任那に合はせむとす。是に、筑紫国造磐井、陰かに叛逆くことを謨りて、猶預して年を経。事の成り難きこと恐りて、恒に間隙を伺ふ。新羅、是を知りて、密かに貸賂を磐井が所に行りて、勧むらく、毛野臣の軍を防遏よと。是に、磐井、火・豊、二つの国に掩ひ拠りて、使修職らず。
叛逆することを計画したものの、ぐずぐずしたまま(「猶預して」)年が過ぎた。このままでは難しいことを恐れて、いつも継体側の隙を狙っていた。これが当時の磐井の心境であった、と書いてある。
謀反の目的は何か、またその内容はどうか。ここが問題である。謀反の目的=磐井が皇位を継承すること。その内容=磐井が豪族たちの支持を得て、大和に入部すること。これがぐずぐずの原因であったが、最終的な支持基盤が得られないまま、先に継体が大和に入ってしまった。
もう後がない。新羅が、彼のこの迷いを衝いてきた。「新羅、是を知りて、密かに貨賂を磐井が所に行りて」、決行を促してきたのである。