【前回の記事を読む】成績も悪いイジメられっ子…「父親への殺意」が芽生え始めて

第一章 傷を負った者達

ゲーム三昧の日々の行いの悪さが学校のチャイムを皮切りに現実問題となってのしかかる。ゲームをやったところで現実が好転するわけでもなく、誰かが宿題をやってくれるわけもない。宿題をやらなければ学校に提出出来ない。ご存じの通り、僕は宿題をしていない。

そこで宿題をやってこなかった言い訳を毎日考える。先生は同じ言い訳は許してくれない、通用しないのだ。逆に言うと昨日と違う言い訳なら許してくれる。変な先生だ。

頭をフル回転させて、宿題が出来なかった理由を考えながら一歩一歩先生のもとへ歩を進めるあの時間は今思い返しても生きた心地がしない。しまいには先生の前で言い訳が思いつかず暫く立っていたこともあった。眉間にシワをよせる先生の前に立つのはある意味根性が鍛えられた。

大人になった今は違う。このような状況になった時は良寛の言葉を思い出す。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」

この言葉は自然災害にも当てはまるが、個人のトラブルにも当てはまる。トラブルが起きたときはジタバタせずに平常心を保ち災難をすぎるのをまつ。また、困難に立ち向かうときは、読書を通じて出会った世界の偉人達に思いをはせ、彼らの足跡を学んで分をわきまえて分を超えるようにしている。

そんな先生との思い出の中で僕にとって珍しいことが起こった。確か小学五年生のときだったと思う。僕はいつも通りの通常運転よろしく、宿題なんて元々なかったかのようにやっていなかったが、その日は違った。毎日宿題をやってくる優等生の女の子も忘れたのだ。彼女は凄く落ち込んでいたように見えた。僕と一緒に立たされていることに、なんだかこちらが申し訳ないと思ってしまう。

その日は虫の居所が悪かったのだろう。優等生と劣等生の僕に先生の堪忍袋の緒が切れたようで、朝礼早々、「帰りなさい!」と怒ってた。まあ、そう言われたら帰るしかないので、言う通りに帰ることにした。彼女と一緒に登校早々下校した。

しかし、今思い返すと人生で初めて女の子と二人で『デート』したことになるのではと驚いている。二人、トボトボと暫く無言で並んで歩いて帰った。何を話したかはあまり覚えてない。

「怒られちゃったね」

「宿題忘れちゃったね」

こんなことを会話したような気がする。なんだかその日はいつもの帰り道が違う風景に見えた。目に見える木々、家、マンション、道路、電柱が命を宿しているように新鮮だった。

彼女は毅然と明るく振る舞っていたが、僕には見えた。微かに潤む瞳と声の奥が微かに震えていることに。当時の彼女が日々、プレッシャーと戦っていたことに改めて気付くことになるのは僕が大人になってからのことだ。

家に帰って母に説明すると、さして驚かず、すんなり受け入れられた。母は懐が深いのか、僕が信用されていないのかはわからないが拍子抜けした。暫くすると学校から電話がかかってきたのだが、なんでも、直ぐに学校に戻って来なさいとのことだ。先生が帰れというから帰ったのに、次は戻って来いとはなんたる横暴。

かくなる上は布団から出ないで反抗の意を訴えようかと考えたが、気の弱い僕は権威には逆らえず、はい、わかりましたとトボトボとランドセルを背負って母と一緒に学校へ行くことになった。学校の下駄箱で先生がまっていたのだが、優等生の親と僕の母に何やら先生は頭を下げていた。謝っていたのか何なのかはわからないが先生は申し訳なさそうな顔をしていた。

しかし、しかしだ。親が帰ると先生の顔はみるみる鬼の形相になって、僕等に怒りを向けて怒鳴った。先生は「なんで、帰ったの!」と理不尽な怒りをぶつけてきた。先生が帰れと言うから帰ったのに。いや、まあ、宿題をやってこなかった僕が悪いのだが……。

先程の母への対応と違って、先生は感情剥き出しに僕等を指導してきた。先生は自分の言葉に責任を持たず、その責任を生徒に押し付けたのだ。そんな対応に初めて大人の世界を見た。社会勉強の一助にはなったのだが出来れば見たくなかった人間の一面ではある。