【前回の記事を読む】電柱横にうずくまる浮浪者…サラリーマンの男が動揺したワケ
一、必然
純一にしてみれば、それが花園のように思えて、乾いた心を癒してくれそうにも感じたが、老婆の汚れた姿がどうしても花と一緒に視界に入る。またそれが奇妙な光景と思えた。
「ほぉ、この花に目をとめるとはお目が高い。しかしなぁ、きれいじゃが、御花がないんじゃ」
「お花ですか? いっぱいあるじゃないですか」
「だめじゃ。敬いたくなるような崇高な花がないんじゃ。昔はいっぱいあったんじゃがな」
「崇高な花? でもその花があっても、こんな場所じゃお客さんなんかこないでしょ」
商店街と違って一戸建てが集まる住宅街の入口。車慣れした人間社会。よっぽど購買意欲がある者でなければ、わざわざ停車して買わないし、そもそも人通りも少ない。
街灯が老婆をほのかに浮き上がらせはじめた。
(きれいな花と浮浪者、すごいギャップ……でも、なんかわるくない)
奇妙なギャップが純一の心を妙にくすぐる。道端に背を丸め、花を前にちょこんと座るその姿を〈かわいい〉とさえ思った。
銀髪の頭、笑うと顔中がシワに埋もれ、目がどこかに消えてしまう。シワ一本一本の溝に、優しさが深く沈み込んでいるようだ。その笑顔が純一には崇高に感じ、一瞬、心が吸い込まれるような怖さを感じた。純一の「客はこないでしょ?」という質問に老婆は、
「はい、来ませんね。でも、いいんです、暇つぶしですから」
と優しく微笑むが、口元がどこかニヤついて見えた。
(あれっ? この含みのある笑顔、どこかで見たような……)
純一は思い出すより、早くこの場から立ち去る言葉を考えた。反面、言葉のキャッチボールが少し楽しい。それは、次のボールが変化球かストレートなのかを待つ楽しみに似ていた。
「暇つぶしなんですか? それはまた、暇つぶしで花を売るとは、なんだか優雅な人生ですね」
「人生ねぇ……。私もなにかと忙しくてね。人間が増えるから」
「人間が増えると忙しい?」
純一は老婆の言葉に不気味な違和感を感じたが、老婆はそれを覆す無垢な微笑を純一にみせている。そして、花の根元に芽生える、小さな雑草を引き抜きながら、
「雑草は油断するとドンドン増えてしまう。邪魔そのものだ」
と、つぶやいた。