*住居を準備する

住居については、われわれより先に家族帯同していた同僚が住んでいる同じメデジン市内の3LDKの三階建てマンションの三階に空き部屋があったのでそこを借りることにしました。しかし家具類はいっさいなかったので、冷蔵庫に洗濯機、家族全員の寝具、子ども用の勉強机、カーテン、食器棚と食器などなど、レンタルはないのですべて購入しました。

しかし、一年半後に帰国することになった際には、少し汚れた玄関マットまで含めて、すべて程よい価格で売ることができましたし、現地購入した日本製の軽自動車(四輪駆動)は、なんと購入したときとほぼ同額で売却できました。

*家族の滞在許可(ビザ)の取得

このビザの取得については、国により必要書類や手続きに差があるようですので、ここではわれわれ家族が体験したことを述べることとします。

ビザの取得には当然パスポートが必要ですが、私の家族の場合は、子どもが十一歳と七歳でしたので妻と子どもたちが一緒になったパスポートを取得しました。そして家族で相談した結果、次男にはまず日本の小学校を少しでも経験させたいと考え、入学後半年が過ぎた九月からコロンビア・メデジン市へ移住しました。

コロンビアへの入国は一般の外国人と同様、仮ビザで入国後に入国管理局へ行き、登録する必要がありました。事前に確認したところ、五歳以上の子どもは別々に申請書に本人の名前を記入することとサインが必要であり、しかもサインは英語で本人が記入しなければならないと言われました。

次男はそのときはまだ小学校一年生になったばかりで、英語はおろかひらがながやっと書ける程度でしたので私は妻に事情を説明し、子どもたちに何とか英語でサイン=名前が書けるようにしておくように連絡しました。

一九八六年九月にメデジン市に到着してから一週間後、家族そろって入国管理局へ行き、入国手続きをするべく必要書類を受け取りました。必要事項はほとんど同行したコロンビア人スタッフが書いてくれました。そして三人が最後にサインをするとき、サインするスペースの幅は一センチほどでしたが、長男は何とかその中にサインしたのですが、次男はそれまで小さい字を書く練習はしてこなかったので、なんとか英語らしい字ではあるものの枠を大きくはみ出して書いたのでどうかと思ったのですが、担当者は笑って認めてくれました。

*さあ、現地での生活の始まりだ

生活用水としては、水道はあるものの飲料水としては「?」でしたので、沸かしてから使わねばならず、クッキング用のガスはプロパンガスでしたが、それほどの不便さは感じませんでした。

大変よかったと言えることは、コロンビアは赤道直下の国でありながら、メデジン市は標高が約一千五百メートルあるため、雨季と乾季には多少の温度差はあるものの、一年中クーラーもヒーターも必要のない生活が送れたことです。またバスルームにはバスタブはなく、水のシャワーのみでしたので、そこで使える電力に合った給湯機を取り付けましたが、キャパシティーが小さいため、一回十分以上続けてお湯は使えず、ふたたび使えるまでには三十分ほど待たなければなりませんでした。しかしそれでも家族は皆満足していました。