【前回の記事を読む】日本人の機微に触れる事件の数々…知っておきたい幕末の歴史

第三節 明治維新の前に知っておきたい幕末の歴史

第一項 豊臣秀吉による全国統一の意義

この時代は外観こそ統一された天下様であったが、実態に於いては東北の伊達、北陸の上杉、駿河の今川、中国の毛利、九州の島津等は、豊臣秀吉はもとより織田信長や徳川家康よりも、伝統・格式に於いてとても比較できないほどの士族・氏族としての経歴があり、ことあらば、我が一族こそ天下国家を統一し、朝廷宣下を受け為政者として君臨せんとし、征夷大将軍を目指す適任一族であると密かに確信を持っていた。

その意味に於いて、徳川政権は、北は蝦夷えぞから琉球りゅうきゅうまで支配した政権であり、三代将軍の徳川家光の執政時には、一部に異論も見るが完全に近い全国統一政権であったところがそれまでの将軍家や幕府とは大きく異なる。特に「禁中並武家諸法度」を公布し、武士各藩は当然であるが、朝廷や公家をも支配下においた宣言は学術的にも、それまでの政権とは大きく違うことをしっかりと認識できないと、何故に尊王・討幕という幕末に於ける一五年間の激しい流れと、日本国の地鳴りともいうべき変遷がひたすらに煩わずらわしいだけの歴史としてしか読者に伝わらないであろう。

無礼な物言いではあろうが、殆どの読者が大河ドラマ調の幕末偉人伝で歴史学が満杯になってしまうであろう。それはそれなりに日本の歴史を知るうえに於いて間違いではない。そこは誤解しないようにおかれたい。僭越ながら熟練された読者にも、今一歩の前進を期待して少しハードルを上げて解説していきたい思いである。ご批判のあることは充分承知で一言の言い訳を残しておきたい。

また話をそらせてしまったが、徳川幕府打倒に薩摩藩の志士たちが何故に多数、関与貢献してきたかを知らなければいけない。そこは後の章で薩摩の島津一族は鎌倉幕府開設の源頼朝の御落胤ごらくいんであるという説を、資料を元にして詳細に読者に紹介しよう。