【前回の記事を読む】『東方見聞録』で日本が“黄金の国”と伝えられたのはなぜ?
大日本帝国を取り巻く世界(東アジア)の環境
第二節 古代の日本外交
筆者が軽々しく古代史と言うも、飛鳥時代以前の歴史に正面から立ち向かうことはなかなか出来ない。飛鳥時代の日本国の外交に触れる前に、中国の「中華思想」、「冊封」、「朝貢」を誤解しやすいことから、一部重複するが丁寧にすることから学習しよう。
※飛鳥時代とは、大和飛鳥(奈良県)に朝廷を構えた崇峻天皇の五九二年から平城京遷都の七一〇年までの一一八年間を指す。この時代は聖徳太子が摂政となって、実務行政を執行した。聖徳太子は中国隋王朝の皇帝に対して、小野妹子(遣隋使)を使いに出し、推古天皇からの手紙を託し日本国は「日出る処の天子」として、「日没する処の天子」民国の煬帝に対して、中国と日本国の両国は共に隆盛し、互いに称え合うの意を以て書簡を送るも煬帝の大誤解を招くことになった。こんな時代環境であった東アジアの中国大陸と朝鮮半島の事情を想像してみよう。
第一項 中華思想(華夷思想)
*中華思想については充分なる解説はないとされている。諸説が乱在して通説ありで定説なしの状態であるから、困ったときの国史大辞典を参考することでここを凌ぎたい。
中国人が形成した民族的思想。各説あるも筆者の感覚で捉えると、異民族に対する我田引水の精神的優越感の原理であるとみる。ここまでは通説で語れる範囲であるが、ここから先は敢えて触れない。
日本史だけの器量では語り尽くせないくらい、茫洋とするお話である。誤解を恐れず言うならば、単なる自己中心的な宇宙感覚に勝手な理屈を付けて、周辺の他民族を威嚇するエゴイズム。この理論にはさらに小中華思想という「中華思想」の小型概念が存在する。
この感覚は筆者の理解であるが、大きくは外してはいないと過信している。