【前回の記事を読む】室町から明治まで、日本の天皇が治めた各時代を振り返る!
第二節 大日本帝国の国体と装備
明治四年二月二二日西郷隆盛初代総都督が採納された組織表に次のようにある。
・鹿児島藩歩兵四大隊砲兵四隊・山口藩歩兵三大隊・高知藩歩兵二大隊騎兵二小隊砲兵二隊これは負担士族の兵隊数の明細であり、西郷の胸中は如何様にあったのか。そこは筆者の語れるところではないが、ドラマの材料にはなる。この文献による明細はその後に徴兵制により大日本帝国の陸海軍として加増されることは参考にしていない。
但し、この時点でこんな一文もあるから紹介しておきたい。(前文略、こうしてたとへ「百姓町人の軍隊」といへども、正規軍として訓練され装備されているかぎり、なんら世襲の士族におとらぬことが立証された。
徴兵制度の歴史的優越性は、もはやなんびとの眼にもあきらかとなるに至った。封建残存勢力からの最後の武力的反発(士族)を打ち破った新国軍は、ここに早くも国家の本質的要素となり時代は流れ動いた。以下略)。
この時点で西郷は自らの置かれた立場と士族の行く末を予感していたかもしれない。
・海防力船団としての戦力は往時は鯨船団の実態に依存しており、拙本で詳細は把握できていないが、筆者が日本の古式捕鯨の筆本した史料によれば全て人力稼働のレベルであった。
・領土現在の日本国の領土に加え、南樺太(ロシア領の表記)、千島列島、朝鮮半島、台湾、澎湖諸島。これは大日本帝国憲法下の最盛期時下の資料表記によることはきちんと知りおかねば誤解をしやすい。その他南方諸島を領有していた。
ここに並べた例示は筆者が読者の皆さんのナショナリズム(国家主義)を刺激し、扇動しようとするために記すものではないことを断りおく。地図でもってその海域の広さを確認し、今日の極東アジアの地政学を理解するうえに参考にされたい。
因みに樺太の南半分は無色であった。これは日本政府がその時代に未解決領土として、日本国としては承知していないという意味である。
第三節 明治維新の前に知っておきたい幕末の歴史
・(この節では御一新政府に辿りつくまでの志士たちの行動を紹介していく)前節まで(一節~二節)は大日本帝国の大要を解説した。そこでは新政府の国体を理解し、簡単に明治維新(維新とは時代を改めるの意)に至るまでの趣意の骨格を押さえておかれたい。
そしてこの第三節に於いての神武天皇から孝明天皇までの経過と、維新前夜までの日本の支配者(天皇)から被支配者(町民)までの日本の景色を読者と共に捉えていきたい。日本史近世学に於ける江戸期は色々な面で、それ以前の室町時代や織田信長、豊臣秀吉の統一政権を目指した安土桃山時代とは根本的に異なる国家的空気を醸成してきた。
所謂、天下泰平の文化が江戸を中心にして全国に拡大した。これには大きく見て、徳川幕府の功績が三つあったものと筆者は解釈しているからそこから見せていきたい。