その後、もっと厳しく叱られる事が起こった。得意先が、急ぐ時、直接商品を取りに来ることがある。得意先が来るとU主任やベテラン社員は「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」と一斉に立ち上がって頭を下げて笑顔で応対していた。
「○○商店さん。今日は、良い天気ですね。わざわざご来店ありがとうございます。今日のご注文は、何でしょうか」
と気軽に話しかけ自然と注文を聞いていた。他人なのに何か温かさと身近さを感じさせ好感の持てる応対だった。私は、ただ受付に座って何も言わずにじっと見つめているだけだった。得意先が帰られたあと、U主任から言われた。
「棚橋。得意先が来られたら、じっと座ってないで立ち上がらんかい。立って『いらっしゃいませ』と言わなあかんやないか」
そして、私の横に来て「立ちなさい」と強く言われたので立った。
「頭はなぁ、ここまで下げるんや」
と後頭部を手で押さえつけられ腰が90度位になるまで曲げられた。
「分かりました。すみません」と謝ると「自分でもう一度やってみぃ」と指示されて頭を下げた。
「そうや。商売人はそこまで頭を下げる癖をつけとくんや。よう覚えておきなさい」
と叱られた。U主任は、とても恐かった。私は、顔色を見るようになっていった。U主任が席を外したとき、ベテランの女子社員から
「棚橋君。U主任は仕事場ではとても厳しくて恐い人やけど、根はとても優しくて物分かりのいい人なのよ。あなたを早く一人前にしたい一心で強く言われてるんだと思う。直ぐに仕事に慣れるから我慢して頑張りなさい」
と優しくアドバイスしてくれた。落ち込んでいただけに、とても嬉しかった。元気づけられた。
「ボク。叱られないように頑張ります。至らない点があると思いますが、どうぞよろしくお願い致します」
と丁寧に頭を下げた。
「棚橋君は、素直で良い子ね。叱られても一生懸命頑張るんだよ」
と励まされた。
会社は、新人だからと大目には見てくれなかった。甘くなかった。商売人として、小さなことでも、してはいけないことは容赦なく注意され叱られた。社会の厳しさを身を以て痛感した。
受付で厳しい教育を受けて電話にも応対にも何とか慣れてきた。次第に自信もついて明るくなっていく自分に気付いた。
あるとき、U主任から「棚橋。今の電話は、良かったぞ!」と褒められた。
嬉しかった。その一言がいまだに忘れられない言葉となった。
「ありがとうございます。さらに頑張ります」と自然に頭を下げて涙を堪えた。
暫く経つと得意先の名前も商品名も覚えて円滑に仕事がはかどりゆとりも出てきた。仕事が面白くなり冗談も言えるようになっていた。
受付業務にすっかり慣れて1年位してから、今度は、H部長、M主任、女子社員6人のいる経理部で仕事をした。いきなり経理のM主任の下で総勘定元帳や試算表を作成する仕事をした。
当時はソロバンが主力の時代で、私は、ソロバンが出来なかった。学校で習っただけのソロバン力では、仕事には通用しなかった。前田豊三郎商店は商売人の会社だ。ソロバンが出来ないと仕事にならなかった。必要性に迫られソロバン塾に通い本格的に習うことにした。
毎週日曜日。小学生や中学生ばかりの塾に、社会人は私一人だった。その中にいると正直恥ずかしかった。小学生から「お兄ちゃん。何でそろばん習いに来てるの?」とよく聞かれた。
「お兄ちゃんね。会社に行ってるんやけど、そろばんが下手やから習いに来てるの。君達みたいに早く上手になるよう頑張るから、よろしくね」
と言っていた。お兄ちゃん。お兄ちゃんと慕って話しかけてくれたので塾に行くのが楽しくて元気を貰った。