言葉が立派な人

ある時、孔子は、宰予さいよが昼寝ばかりしていることに気がつきました。朝になると、門下生もんかせいたちが集まって、みなで同じ部屋で仁について研究しているのに、なぜか宰予だけがいないのに気がついたのです。宰予は弟子たちの中でも口が達者でしたが、態度や行動にいつも問題がありました。

孔子は、他の弟たちに言いました。

「まったく宰予はなまけ者だな。いつも勉強せずに、昼寝ばかりしている。かたい木きには彫刻することができるものだが、古くなってくさってち果てている木に彫刻しようと思っても、木はぼろぼろとくずれてしまうだけだ。私は一生懸命、宰予を教え育てようとした。彫刻のように、私の教えを宰予の頭の中にきざみつけようとしたつもりだが、まったく無駄だった。

宰予はいつも口では立派なことを言うが、態度や行いがまったくともなっていない。いままで、私は言葉が立派な人は、態度も行いも立派なものだと信じてきたのだが、宰予を見ていると、そうではないということがよくわかった。今後は、たとえ言葉が立派な人であっても、その行いが立派かどうかは、その行いをよく見てから判断しようと思う」

宰予が昼寝ばかりしているのを見ていた弟子たちも、師匠のなげきを聞いて、実にもっともだと思ったのでした。