子の母

それから百年たちました。同じ中国に、孟子という先生がいました。孟子は教え子たちから、とても尊敬されていました。なぜなら、孟子はたくさんの国の王様達からも尊敬されていて、王様たちにアドバイスする先生でもあったからです。

孟子が尊敬され、そのような立派な先生になれたのは、孟子の母が愛情深く孟子を育てたからでした。孟子の母がいかに愛情深く孟子を育てたか、その逸話が語り継がれています。

孟子は子供の頃、亡くなった人が埋葬されている墓地の近くに住んでいたそうです。その地でしばらく生活していると、幼い孟子は、お葬式ごっこをして遊ぶようになりました。墓地では、毎日のように亡くなった人を埋葬するお葬式が行われていて、孟子はそのお葬式を間近で見ていて、自然と真似するようになってしまったのです。

その姿を見た母は、ここは子供を育てるのにふさわしい場所ではないと考えました。幼い子供にお葬式の真似などして欲しくなかったのです。そして意を決して引っ越しをしました。

引っ越した先は、商売が盛んな街でした。その街で生活を続けていると、幼い孟子は、お葬式ごっこはしなくなりましたが、今度は商売人の真似をして遊ぶようになりました。街中では、商売人たちが、ひと儲けしようと、毎日のようにかけひきを繰り返していました。孟子はその商売人たちがかけひきする姿を、見よう見まねで真似をしていたのです。

孟子が、口達者な商売人に扮してお金を儲けようとする姿を見て、母は残念な気持ちになりました。幼い頃からお金を儲けることばかり考えて欲しくなかったのです。ここも、孟子が学ぶ場所としてふさわしい場所ではないと考えて、再び引っ越しをしました。

次に引っ越した先は、学校の近くでした。その学校では、立派な先生が生徒たちに挨拶の仕方や礼儀作法を教えており、生徒たちも規律正しく大変熱心に学んでいました。その学校の近くで生活を始めたところ、やがて幼い孟子も、挨拶をしたり、丁寧な礼儀作法を真似したりして遊ぶようになったのでした。

母は思いました。我が子が住む場所として、学ぶ場所として、最もふさわしい場所にやっとたどり着いた。ここが理想の場所だと。こうして孟子は学校の近くで生活することで、学ぶことの楽しさを自然に覚え、大人として成長したのちに、立派な先生になったのでした。