【前回の記事を読む】「先生のような人徳者でも…」弟子の不遜な物言いに、落ち着き払った孔子の答え
考えることと学ぶこと
弟子の顔淵が孔子の前で、ため息まじりにつぶやきました。
「先生は、仰ぎ見れば見るほど、ますます高いところに行ってしまい、とても手が届く感じがしません。一生懸命叩いて、割ろうとすればするほど、ますます硬くなる岩のようにも感じます。目の前を歩かれていると思ったら、ふと気がつくと後ろを歩かれているようで、自分の能力では、先生を正確につかみ取ることができません。
先生は、いつもやさしく丁寧に、ものごとを順序立ててわかりやすく説明して指導してくださいます。私たちの知識を広めるために、さまざまな文化芸術を教えてくれます。そして、その実践方法として礼儀礼節を教えてくれています。先生に師事して学んでいると、とても楽しく充実していて、途中でやめたいと思うことはなく、もっと学び続けたいと思うほどです。
自分では、だいぶ学んできたので、それなりに自信はあり、もうこの辺で大丈夫かなと思うことはあるものの、先生を仰ぎ見ると、まだまだまったくだめで、とても先生にはおよばないと思ってしまうのです」
孔子は自分自身について顔淵と弟子たちに語って聞かせました。
「私はなんでも知っているかのように見えるかもしれないが、生まれながらにして何でも知っていたわけではないのですよ。むかしから歴史が好きで、熱心に歴史を学びました。人々の過去の歴史から学ぶことで、多くのことを知ることができたのです。むかし、食事もせずに、寝る間も惜しんで考え続けたことがあります。ただひたすら考え続けるのです。しかし、考え続けることによって、何か大事な知識を身につけたり、新しい発見をしたりすることは、ついになかったのですよ。
自分ひとりで、自分の頭の中だけで考えても、知識は広がっていかないし、良い考えも思い浮かばないものだ。過去の歴史には、さまざまな人びとの失敗や成功から得られた知恵や経験が詰まっている。そのような先人たちが培ってきた知恵や経験から学ぶのが一番いいのです。とはいえ、学びながら自分の頭で考え、考えながらまた学ぶというバランスが大事なのです。
知識を学ぶだけで、まったく自分の頭で考えようとしなければ、その知識を活用して人生に生かすことはできないものです。同じように自分の頭で考えるだけで、知識を学ぼうとしなければ、身勝手な思い込みに陥ることになるものなのです」