孔子(こうし)って(だれ)

むかしむかし、中国(ちゅうごく)に、孔子(こうし)というりっぱな先生がいました。孔子(こうし)人間(にんげん)にとって(とく)とは何かについて研究(けんきゅう)し、弟子(でし)たちと毎日(まいにち)のように議論(ぎろん)しながら、その研究(けんきゅう)を深めていました。孔子(こうし)は、その研究(けんきゅう)を深めるかたわら、中国(ちゅうごく)にあるさまざまな国に(たび)に出ました。そしてさまざまな国の政治家(せいじか)有力者(ゆうりょくしゃ)らと会って、(とく)とは何かを教え、あるいは議論(ぎろん)し、平和(へいわ)な国を作るには、(とく)のある政治(せいじ)必要(ひつよう)であることを訴えていました。今から二千五百年前のことです。

二千五百年前の孔子(こうし)が生きていた時代(じだい)は、戦争(せんそう)()えない時代(じだい)でした。孔子(こうし)は、人々(ひとびと)戦争(せんそう)ばかりの()の中で(まず)しさにあえぎながら、(くる)しい中で生活(せいかつ)している姿(すがた)を見て、武力(ぶりょく)権力(けんりょく)ではなく、人徳(じんとく)によって国を(おさ)めるべきだと(かんが)えました。王様(おうさま)や、国の人々(ひとびと)すべてが、(とく)()につけることによって、()の中は平和(へいわ)になると(しん)じていました。(とく)()につければ、人から尊敬(そんけい)され、(した)われて、(だれ)とでも仲良(なかよ)くなれる人柄(ひとがら)になる。

 

そのような(とく)()についた人徳者(じんとくしゃ)者は、思いやりがあって、正義感(せいぎかん)があり、礼儀(れいぎ)(ただ)しくて、(かしこ)くて、人から信頼(しんらい)される。だから戦争(せんそう)(あらそ)いは()こらない。人徳者(じんとくしゃ)は、必ず周囲(しゅうい)から必要(ひつよう)とされ、()の中のためになる仕事(しごと)を行い、みんなの役に立ち大事(だいじ)仕事(しごと)(まか)されるようになる。孔子(こうし)はそう(かんが)えました。ではいったいどうやって、そのような人徳者(じんとくしゃ)になれるのだろうか。

孔子(こうし)は、くる日もくる日もそのことを(かんが)(つづ)けました。そして、まずは、相手(あいて)を思いやる心を持つことだと(さと)りました。自分(じぶん)を生み育ててくれた両親(りょうしん)兄弟(きょうだい)、お世話(せわ)になっている近所(きんじょ)の人たちや、一緒(いっしょ)に遊んでくれる友達を思いやること。そして(こま)っている人や(くる)しんでいる人々(ひとびと)を助けること。

そのような思いやりの心を()につけるには、人の(いた)みや(くる)しみを、自分(じぶん)(いた)みや(くる)しみとして感じられる人になることが、人徳者(じんとくしゃ)への(みち)だと(かんが)えたのです。両親(りょうしん)や先生、兄弟(きょうだい)や友達、さらには草花や犬や猫など、一緒(いっしょ)に生きている人や自然(しぜん)を思いやる心をひとことでいうと、それは「(じん)」であると(さと)りました。孔子(こうし)は、みずからの生涯(しょうがい)をかけて、(じん)(みち)(きわ)めることを(ちか)いました。