【前回の記事を読む】組合員と会社役員の交渉「会社への不満の濁流が堰を切った」
労使の絆と兄弟の絆《三十四歳》
それでも週末は、お花見の折詰弁当の予約が殺到しており、組合員全員に職場放棄されると、お客様に大変な迷惑を掛けることになる。組合側がストライキへの呼び掛けビラを配るのに対抗するように、恭平は出勤要請の檄文をフェルトペンで綴って掲示した。
金曜日の午前零時。課長以上の役職者と共に現場に入った恭平は、四百本余のバッテラ寿司を独りで仕上げる悲壮な覚悟で現場に立った。その数が百五十本を少し超えた三時過ぎ、現場のドアが開き、組合員の社員やパートさんが一人二人と顔を見せ、いつもとは逆に恭平の横まで来て、笑顔で挨拶しては持ち場に就き始めた。
「おはようございます。ありがとう!」
短く返す挨拶の声は震え、恭平は懸命に涙を堪えながらバッテラ寿司を押し続けた。
辛くもストライキは霧散解消し、花見シーズンは大過なく乗り切ることができたが、大泉社長と恭平の口論が勃発したのは、その後のことである。
「ストライキも無く、無事に出荷を続けることができたのは、組合員を含む全社員のお陰だから、昇給に少しでも色を付けて欲しい」
恭平の提案は一笑に付された。
「馬鹿なことを言うな。それでは組合の思うつぼじゃないか」
万鶴の給与は同業他社に比べると高い方だが、他業種と比較すれば、決して高いとは言えない。給与を上げる代償として、もっとハイレベルの仕事を社員に求めるべきだ。恭平は一歩も引かず持論を展開し、終に大泉社長は折れた。
万鶴での仕事の合間を縫って顔を出す、ひろしま食品は相変わらず悪戦苦闘していた。給食弁当の食数は徐々に伸び、赤字の元凶だった店舗経営からの撤退は実現したものの、仕事がシンプルになった分だけ単調に流れ、新しい挑戦への気概が感じられなかった。
それでも、ひろしま食品の従業員たちは万鶴の半分にも満たぬ、雀の涙の昇給を喜び、恭平の顔を見る度に丁寧な礼を口にする。恭平は気恥ずかしさに赤面しながらも、社員のモラルの高さに感謝しつつ奮い立ち、それらを活かし切れない常務の緊張感に欠ける言動に触れるたびに、溜息を吐き唇を噛んでいた。