【前回の記事を読む】白昼、友人の妻に呼ばれ…囁かれた「Will you?」の真意は

Wish You Were Here

友人の妻との出来事から一年後、東京の英会話学校での仕事があると転職エージェントから聞いた時、男は思わず、応募したいと言った。偶然あの妻に会えるかもしれない、と思ったことも事実だ。

それからさらに半年後、男は東京におり、アパートと仕事を得ていた。男にとって友人の妻との出来事は、ロンドンを離れる契機というよりも、東京に来る契機となった。男を世間知らずだとか、単純だとかいう向きもあるだろう。だが良くも悪くも、その出来事は、現実の生活を変えるほど、男に大きな影響を及ぼした。

もとより男は、「My Life」の住人であるのと同時に、現実世界の住人であり、三十年あまりの人生の層を持っているのだ。現実世界で起こる良い事、悪い事、そのどちらともつかない事、様々な出来事が男の中に沈殿し、積み重なり、それらが思わぬ形で男に影響を及ぼしているのは間違いない。

今、薄闇が立ちこめようとしている東京で、男の携帯電話の画面が、白々とした光を放っている。男は空の瓶を思い切り逆さにして、残っている泡を飲み込んだ。

隣のテーブルに、若い男女二人が座った。楽しそうに何かを話しているが、日本語なので男にはわからない。日本に来て二年が経つが、男は日本語が話せなかった。仕事の任期はまだ二年あるが、日本語を覚えようという気持ちはない。

東京に来てからというもの、男は一日の多くの時間を一人で、「My Life」の中で過ごしている。男の「My Life」では男女問わず知らない人へのコンタクトが増えている。男のように、その地に知り合いがいない外国人にとって、「My Life」はつながりを作るのに便利なツールである。それに、元来男は、人への興味が強く、すぐに人と近づくことができるタイプだ。このソーシャルメディアの中で男が積極的に行動するのは、ごく自然なことだった。

だが、現実世界と「My Life」の中とでは、少々勝手が違うようだ。今日午後五時に永田町駅のバーで初めて会おうとしていた友人候補の男性(日本人でないことは間違いないが国籍はわからない)は、日にちを間違えたとかで、謝罪と、またそのうち、というメッセージを寄越してきた。男は三十年の人生で、「そのうち」は十中八九来ないことを学んでいた。

似たようなことは他にもある。二週間前、「My Life」である女を見かけて、素敵だと思いメッセージを送った。プロフィール画像を見る限りたぶん日本人だ。女から返事が返ってきて、何回かやり取りをした。三日前に送った五回目のメッセージには、未だ返事がない。男は、わずかな失望を感じていた。