【前回の記事を読む】悪口には決して相槌を打たず、否定する習慣がついた「ワケ」
庇を貸して母屋を取られる《三十三歳〜三十四歳》
彼女たちから信頼を得るための必須条件は、何時でも、誰に対してでも、自分との相性にも関係なく、公平に接すること。良かれ悪しかれ一人への不公平な言動が、その他大勢の反感を買い、信頼を損ねてしまうことを恭平は体得した。
だから、若くて気さくで話し易い女性より、むしろ年配の口煩い女性に対して、積極的に声を掛けるように努めていた。
同様にサラリーマン時代の経験から、上位者に媚びへつらい下位者に威張り散らす人間に不信感を覚えていた恭平は、決して大泉社長の腰巾着にはならないよう心掛けた。
そうした気遣いの甲斐あってか、少しずつ相互のバリアが瓦解し、新しい人間関係が生まれつつあることを実感していた。
労使の絆と兄弟の絆《三十四歳》
入社して間も無く一年になる三月初旬の夕刻、春の昇給に際しての団交があった。
組合員二十数名に対峙する会社側の役員は恭平唯一人で、隣には銀行を定年退職した経理部長が座っているだけだった。
一見すると多勢に無勢の交渉も、実質は安藤委員長と恭平の一対一の対決で、委員長以外の組合員はまるでボクシングの試合を観るリングサイドの観客のようだ。
委員長は観客からの喝采と信任を得ようと、数々の法外な要求のパンチを繰り出す。
恭平は委員長と目を逸らすことなく、前後左右にウェービングしながら聴き入った後、軽くジャブを放った。
「解った。で、その要求を全て呑んだら、どうなるの?」
「……」
想定外のジャブがヒットし、委員長は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして立ち竦んだ。
「解らないかい。じゃあ、教えてあげよう。その要求を全部呑んだら、会社は一年以内に間違いなく潰れるよ。皆さんは、会社を潰そうとしているの? そうじゃないだろ、だったら、もう少し現実的に、真面目に話し合おうよ」
穏やかに、諭すように、安藤委員長を無視して、観客席の全員に話し掛けた。
「おい、儂を馬鹿にしているのか!」安藤委員長がドスを利かせた大声を上げる。
「馬鹿になんかしていない。私は、どうすれば会社が発展し、我が社で働く全ての人が、ハッピーになるか、そのことを誰よりも真剣に考えている。それこそが、私の責務だ」
「偉そうなことを言うな! お前なんか、直ぐに辞めさせてやる! お前じゃ話にならん。何故、社長が出てこないんだ!」
「私は、社長に全権委任されて、この場にいる。そして、私を辞めさせる権限は、あなたには無い! もし、皆さん全員が、私とでは話ができないと言うのなら、今日の団体交渉は終わりにしよう」