二 あきらめ父の家は貧乏でした。他の兄弟姉妹は学校へも行けず働きに出され、末子でひ弱な父は少し成績が良く、旧制中学へ行かせてもらえました。卒業後、当時としては花形と言われた「南満州鉄道」に昭和十年に入社しました。「日本本土では大学卒の給料が八十円ほどの時に、現地の満州人たちに日本語を教える手当が付き百二十円という給料をもらった」と、子供の頃よく聞かされました。気の小さな優男の父が勤務した地は、満…
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