【前回の記事を読む】現代の浦島太郎?免疫研究者が帰国して「急速に萎えた」ワケ
臨床をやるものは、臨床に役立つ研究成果を挙げねばだめだ
2018年、京都大学の本庶佑先生ががん治療薬(抗PD-1抗体、オプジーボ)でノーベル賞を受賞された。リンパ球が人間の免疫防御機構に関わっていることは多くの傍証があったがそれを直接証明したわけである。今後リンパ球の役割がより詳細に解析され、遺伝子手法と相まって新しい展開が予測される。1970年代私共が悩み苦しんだ臨床指標として使えるリンパ球の役割も期待できると考えている。
オプジーボ:京都大学医学部の本庶佑博士のチームが開発した人型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体。悪性黒色腫、肺がん、腎がんなどに使える。小野薬品が製造販売。
ベーチェット病外来
大学在籍中、私はベーチェット病外来をやっていた。昭和30~40年代(1955~1970年)は国民病といってもいいほど多くのベーチェット病患者が発症しており、後天的失明の原因として1位は糖尿病ではなく、ベーチェット病であった。しかも働き盛りの20~30代の若い男性が発症して、1~2週間のうちに眼発作で失明するという信じがたい現象が起きていた。
今振り返ってみると当時の農薬の過剰使用が原因ではないかと疑っている。当時のベーチェット病の厚生省研究班はミニブタに農薬でベーチェット病を起こすことに成功していた。ベーチェット病は全国津々浦々均等に発症し、若い男性に多く発症する病であった。農薬使用が控えられる1973年のオイルショック以降には減少に転じ、今では新規の発症は極めてまれである。
ベーチェット病は1937年トルコの眼科医ベーチェット博士が口腔内アフタ、結節性紅斑、ブドウ膜炎の3主徴を伴って発症する症候群に対し、独立疾患であるとしてベーチェット病と命名した。ドイツ語で論文を発表したため、世界的に知られるようになり、以来全世界で認知されるにいたった疾患である。
この疾患の特徴は病変部に好中球が高度に出現することから、好中球病として広く認知されるにいたった。強い炎症を伴うことからステロイドホルモンをミニパルス的に使い漸減する治療法が一般的であった。
1970年になって、好中球の遊走を抑えるコルヒチンが使われだし、これが本病の症状を緩和することが判明した。このことからベーチェット病は好中球病との考えがますます強固となった。コルヒチンは症状を緩和するが治癒させることはなかった。
好中球:好中球は白血球の一種で細菌感染症や真菌症などに対し食作用で身体を守る機能を持っている。
ミニパルス:ステロイドホルモン、メソトリキセートなどを通常の投与量より多い量を短期間に衝撃的に使用する方法。