真光で祖霊祀りというのがあって、仏壇も位牌も無い、全く祖霊祀りをしていない人が新しく、位牌を作り仏壇を購入して祖霊の祀りこみに招かれて末席に加わらせてもらっていたとき、参列者全員が畳に手をつき、導師さんが、

「只今より◯◯家祖霊祀り祀りこみを行わせていただきます、祭主◯◯様」と祈りあげた途端祭主席にいた◯◯さんが、

「頭が痛い、割れそうだ」と言って、両手で頭を押さえ転げまわりだした。

全員何事かと総立ちになり不安そうに顔を見合わせていると導師さんが仏壇に向かい、「万事手抜かりなく準備を進めてまいりましたつもりですが、何か手抜かりがあったと思われます。もう一度調べ直し、後日改めて祖霊祀り祀りこみを行わせていただきたく思います」

そう言うと頭の痛みはやわらいだのか頭を押さえながらも正座をし、散会となった。

仏壇の大きさは拘らないが、位牌は黒塗りに金文字がよいとされている。繰り出し位牌はバラック小屋と教えられている。

死後三十年経った人は先祖代々の位牌に、三十年に満たない人はそれぞれの位牌が必要で、夫婦は一つの位牌に戒名を書き込んでも良いとされている。

位牌の文字はテンが一つ抜けてもいけないと教えられている。

◯◯家のときは親の家にも仏壇はなく、親の実家から戒名を書き送ってもらったとのこと。その時点で吉の字の士が土になっていた。

位牌ができ導士さんの手元に届けられたとき依頼された戒名と位牌に書かれたものと見比べている。依頼されたものが間違っていてはどうしようもない。

改めて◯◯家の祀りこみはとどこおりなく執り行われた。

他宗派のことはとやかく言いたくないけれど先祖代々の位牌とか各々の位牌のない仏壇を見かけるが内容はどうなっているのか、心が寒くなる思いがする。

天狗岩に辿り着いてみると、此処で朝夕打ち鳴らされた太鼓の音が川向の集落まで聞こえたというが、庵らしき物も崩れ落ち昔日を偲ばせるものは見あたらなかった。