【前回の記事を読む】学校長の後ろ盾を手にし…看護専門学校の「女ドンの雛」誕生
看護専門学校入学式
村山学校長は入学式の翌日四月八日金曜日の午後に国田に電話を入れた。
「国田さん、今後の学校運営について相談したいことがあるので、明日の土曜日に昼食を一緒にしようと思うが、国田さんはどうですか?」
村山はすぐに了承すると思っていたところ、
「明日ですか? 明日は午後に先約があるので、無理ですが……」
「そうか。では来週の木曜日の昼はどうか」
「四月十四日の木曜日の昼ですね。よろしいですが、何時頃お会いするのですか」
「午後一時にしよう。わしがタクシーで学校に迎えに行くからね」
「承知しました」
村山の学校運営の話とは何であろうか、国田は自分が学校運営に関与するのかと思うと何に関する相談なのか興味津々であった。
四月十四日の当日は村山は約束の午後一時丁度に学校に現れ、国田と共にタクシーで尾因市の飲食街へと向かった。
村山と国田が向かった料亭は緑柳で、瀬戸内海で獲れる魚料理が美味しいとの評判である。オコゼの唐揚げや穴子丼などは特に旨い。村山は国田が大阪に十数年以上いたというが、大阪の食道楽でも舌を巻くだろうと思ってここに案内したのである。緑柳の二階の奥座敷を予約していた。
「国田さん、今日はお客さんと思っているので上座でいいのですよ」
村山は国田に上座に座るよう促したが、国田は遠慮して下座に座ってしまった。
村山は床の間の前の上座に座って、女将にビールを二本注文した。
「お前も飲めるだろう」
村山は親しげに国田に言った。
「まあ、少し」
国田は学校長の村山が後ろ盾になってくれれば自分の思い通りの教育ができると内心期待していた。
「わしはなぁ、広島県の因島育ちで終戦直後は中学校の教員をしていたんだ。それから医大に行って医者になったのだよ。年が多かったので、皆から『おとっつあん』と呼ばれていたよ」
冷えたビールを国田に勧めてコップに注いだ。自らのコップにもビールを注ぎ、
「これから学校を頼むよ」
と二人は乾杯をした。テーブルには前菜、桜鯛の刺身、烏賊ソーメンなどが並べられ、豪華な昼食となった。村山は国田と大阪での初対面の時と、国田が尾因市の学校に挨拶に来た時は国田先生と呼び、学校に初出勤した時は国田さんと呼んでいたが、今日からは、この料理屋に来てからは国田と呼び捨てにした。時々お前ということもあった。学校では教務主任と言えども部下だから、呼び捨てで構わないが、村山は呼び捨ての方が親近感があると思っている。これも村山の処世術かもしれない。