【前回の記事を読む】第二次世界大戦による破壊を免れた古都…クラクフの遺産を巡る
1998年8月15・16日(土・日)クラクフ紀行
-美しいポーランドの古都と、強制収容所-
ヴェリチカ岩塩鉱山はクラクフから10キロ、中世以来700年以上にわたって岩塩を生産しておりいまでも操業中です。中世にはクラクフよりヴェリチカ岩塩鉱山の方が有名だったそうで、かつてはヴェリチカで採れる岩塩が王家の収入の3分の1を占めていたそうです。
王の従者の俸給は岩塩で支払われていたそうですが、サラリーの起源ラテン語のSal(塩)通りの話です(大手総合商社ニューヨーク駐在員のCさん、塩野七生の『ローマ人の物語』でローマ軍団の兵士の給料は塩で支払われたという話はありませんでしたっけ)。
地下9層の鉱山のうち、観光客は3層まで降りられますがそれでも地下135メートルもあります。なお、岩塩は組成にもよりますが暗緑色、灰色で白色を予想していると面食らいます。
クラクフ観光を思い立った理由の1つは5月のアムステルダム紀行(関連記事:『チューリップで一杯っ!アムステルダムのキューケンコフ公園へ』)で「アンネ・フランクの家」博物館を見学し、アンネの父オットー・フランクがアウシュヴィッツ強制収容所に収容されていたこともあります。クラクフから60キロ、ガイド・ツアー利用では帰りの飛行機に間に合わないため、朝7時半からタクシーを借り切り一人で回りました。
1940年から1945年までに150万人とも推定されるユダヤ人、ポーランド人、ジプシー、ソ連軍捕虜が虐殺された場所で、収容所の建物を利用した博物館になっていますが、資料、映像の多くは今まで見た物で皆さんもご存知の通りと思います。
3キロ離れたところにもう1つの強制収容所ビルケナウがありアウシュヴィッツの最大2万人に対し最大10万人まで収容したそうで、地の果てまで続くような規模は印象的でした。