【前回の記事を読む】華麗なるハプスブルク家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿見学
1998年8月29-9月1日(土-火)ドナウ川都市紀行(ウィーン、ブダペスト、ザルツブルク)
-モーツァルトが活躍した町と、苦難の歴史の町ブダペスト-
日曜日、ウィーンからブダペストまではバスで約3時間広大なハンガリー平原を走りました。ハンガリーはヨーロッパ有数の農業国で、カルパチア山脈をはるばる越えてきたマジャール人がこの肥沃な大地を見て腰を落ち着けたいと思った気持ちは分かります。
ハンガリーは896年ウラル地方からやってきた誇り高いマジャール人が定着、王国を築いたのが始まりで、トルコとハプスブルク・オーストリアの間に挟まれ苦難の道を歩みます。
1526年のモハーチの戦いでハンガリー国王そしてボヘミア国王であったラヨシュ2世(在位1516年~1526年)が戦死し、王都ブダを含む王国の大部分はトルコに占領されハプスブルク家のフェルディナント1世がハンガリー(在位1626年~1657年)とボヘミア(在位1626年~1664年)の国王に就任します。
1683年のトルコ軍によるウィーン包囲とその後に続く解放戦争によってようやく1686年にブダの町がトルコから解放されオーストリア・ハンガリー帝国の主要都市になりました。民族的にはフィンランド人と同じくアジア系で近隣のラテン、ゲルマン、スラヴ系言語とは全く異なるハンガリー語を話します。
ただ出典は忘れましたが、ハンガリー人の血液型か遺伝子分析かによるとアジア的要素は10パーセント程度だったと記憶しており、また町を歩く人を見ても他のヨーロッパ人と見分けがつきません。
ブダペストはドナウ川を見下ろして城砦が立つ右岸の城下町ブダと、対照的に平坦な左岸の商業地ペストが向かい合うハンガリーの首都で、そそり立つ城壁と言い、城砦の中の王宮、国王の戴冠式が行われたマーチャーシュ聖堂と言いプラハとそっくりです。