それ以上に驚くのは米国とメキシコの経済力格差による生活・都市環境の格差である。そしてそれはそこから生じる人生への無気力を生起し、一方ではすさまじいまでの生命力が混在する。一九七二年当時の日本はGNPで米国に次いで既に世界第二位であったが、それは総額で米国の二十%、国民一人当たりでは四十%で、また一・〇米ドル=三六〇円の為替レートが示すように、まだ経済格差が相当あった。

ロスアンジェルスに着いて生活してみると、その差は経済の値以上に大きいことを感じた(注1)。一方、当時のメキシコのGNPは米国の三・五%、国民一人当たりでは十四%と、日本以上にきわめて大きい経済格差であった。その著しい経済格差のためにメキシコから違法に国境を越えて米国に密入国するメキシコ人が後をたたず、マスコミでも時々報道されている。米国南部地域はこれらのメキシコ人を中心とした中南米人の集積地となっている。

このため、この国境には高さ三~四メートルの頑丈な金網が延々と建てられて、メキシコや中南米国からの密入国者を阻止している。米国から歩いてメキシコに入国するときにまず目に付くのは、人の往来を峻拒し、両国を画しているこの頑丈な金網である。


(注1)日本で大学卒業後二年目の私の日本での給料は、五十時間の残業代を含めて月五・五万円だった。ロスアンジェルスのお菓子屋さんで七時間働いて月十万円。同じく夜の皿洗い六時間で六・八万円。そして、ニューヨークではレストランの食事後の食器をさげる仕事のバス・ボーイで月二十万円(寮があり、寮代と食費は無料)だった。