【前回の記事を読む】「こんなに汚い物を…」自身の穢れを思い知ったお浄めとは

真光にて 自身の穢れ

道場の中では霊動といわれるものが日常的に見られた。額のお浄めは基本十分程度である。額のお浄めを受けているとき、いろんな動きを見せるのである。武家の家に奉公にあがり主に切り殺された娘の思いはすさまじく、大の男四人がかりで両手両足を押さえつけなければお浄めができない。少し気を抜けば片手で転がされたり投げ飛ばされたりする。

お浄めを知らない人が見れば、女子高生にどんな酷い折檻をしているのだと思われるのではないかというような状態である。御静まりをかけて霊が鎮まれば可憐な女子高生である。大の男を投げ飛ばしたり、すさまじい形相は微塵も感じられない。

何百年たっても受けた恨みは消えないのであろうか。

また別の人はぬらりくらりとお浄めから逃れようとする。両手にタオルをかけ、上から紐で縛ってもするりと紐から逃れてしまう。御静まりがかかり、しらふになったとき同じように紐で縛ってみると、どうあがいても紐から逃れることはできない。またある人は瞑目合掌している両手が次第に指を折りたたみ、拳を合わせた形になる。

此の形はエス学会から来た人たちによく見られた。また眉だけをぴくぴく動かす人もいた。彼らは特異な人たちで、大部分の人たちは何事もなく、お浄めの受け施しをして帰っていく。霊動の激しい特異な人たちも、導士さんが霊査をし、根気よく神意を伝え、お浄めを続けていると、霊動も表情も和んでくる。

のちに本部から霊に興味を持たず、浄まることに専心するよう指導があり、激しい霊動は徐々に見かけなくなっていった。