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中国紀行

 
 

南京友好訪問の旅

上海から南京へ

一九九一年十一月十五日、今回の訪中団一行は早朝、名古屋駅に集合し、六時二十一分の「こだま」で大阪へ。新大阪駅からバスで伊丹空港へ向かい、八時三十分着。JAL793便上海行き十一時十分離陸。十三時十五分無事上海到着。時差一時間を戻す。

出迎えのバスで市内観光となる。市内の詳細観光は目的地の南京訪問を終えたのち、帰途の十八、十九日に予定されているため、この日は上海埠頭のバンド地区へ行き石壘へ全員一旦下りた。東シナ海が正面に広がる。

ガランとした埠頭に七、八人の二十歳くらいの青年が走って来た。我々を囲んで、リーダーが口を開き「皆さん、日本の方々ですね。何とかして日本へ連れてって頂けませんか。お願いします」と上手な日本語で言った。ああ経済格差かと思った。当方代表が「残念ながら……」と断る。しばらく粘られたが、人民服でパスポートもない彼らは、仕方なく東の海をにらみながら去っていった。日本方向の東方の風が、彼らの長い髪をなびかせていた。我々も、国際ショックに語る言葉もなかった。