【前回の記事を読む】襲い掛かる自然の脅威…それでも揺るがない彼女の決心とは
第二章【反発】
間もなく遠く町の方角からサイレンの音が聞こえてきた。
「家は大丈夫かしら?」
家の様子も気になりだし、急いで帰ろうとまだおぼつかない足どりで、きた方向に歩き出した、その時である。
「明日美」
どこからか自分を呼ぶ声が聞こえてくるのだ。というよりもそう感じた。
「誰。私を呼ぶのは誰なの?」
前方に人影はない。なぜかはわからないが、後ろから聞こえたように感じ、後ろを振り返ってみても誰もいない。いるわけがない、後ろは崖になっていたはずなのだ。
「気のせいか、やっぱ疲れてんのかなー」
そう思い、再び振り返り歩き出そうとすると、また、
「明日美」
錯覚とは違う。呼んでいる。どこか懐かしい女性の声が間違いなく呼んでいるのだ。しかし何ともいえない違和感が残ってしまう。耳に聞こえる風の音、加えて遠くから聞こえるサイレンの音とは明らかに違って雑音を感じない。はっきりとはわからないにしろ、頭の中に直接響いてくる感がした。
「誰なの。あなたは誰よ、私をどうしようというの?」
試しに明日美も声に出さずに心に思ってみるとまた、
「少しの間我慢しなさい、大丈夫です」
相手の言葉が心に聞こえてきたのだ。そう感じた瞬間、自意識が急速に収縮していった。明日美は自我をなくし、完全に心身を奪われてしまった。取り憑かれたように顔の表情は失われ、迷いもためらいもない様子で、断崖の方向へとふらふらと歩き出していった。
断崖にせり出していた岩はすでに崩落し、原形がなくなり、同じ場所に隠れていた巨大な岩の壁が出現していた。どうやらその崖下へと誘導されているようなのである。実は上からの景観からはわからないが、斜面には迂回して壁のすぐ下まで行ける岩道があったのだ。とはいえさきほどの崩落で相当のダメージを受けたと考えられる。行ってみるしかないにしろ、その岩道も岩にできたすき間といった感じで、もはや道と呼べるものはないと考えるべきだろう。
だがそんな道なき道を、明日美は元々知っていたかのように、岩と岩の間を敷かれたレールの上を進むが如くに、スルスルと一度も立ち止まることもなく、そしてまた、岩に手を触れることもなく、壁の下に到達してしまったのだ。その後をレオがピョンピョンと岩から岩へと飛び跳ねながらついていった。壁の前には、三方を人の背丈位の岩に囲まれたユニットバス程度の空間ができていて、夢遊病者のように明日美はその場に立っていた。
「心配ないわ」
声が聞こえたと同時に拘束から解放されたらしく、明日美はよろけてしまいその場に座り込んでしまう。