この頃の授業 ~食うか食われるか!?~
さて、授業を具体的にどのように行ったのか。まずは聴かせる態勢をつくる。そのためには、定期考査つまりテストの点数よりも、普段の授業への取り組み姿勢、即ち授業態度を重視し評価する旨を伝える。
その授業態度を客観的に評価するために、授業終了直後に抜き打ちでノートを提出させる。後で繕って提出しても受け付けない。そしてそのノートは、ただ単に板書事項を書き写すだけでなく、教師の説明したこともしっかりとメモることを求めた。また石器や土器、古文書などの新発見など、歴史に係る新聞報道の切り抜きも自主課題として提出させた。
授業の形が整ってくると、生徒の中から、歴史の面白さ、楽しさをもっと詳しく教えて欲しいという要望が出てきた。そこで、夏季休業を使って、授業内容の抜本的な再編成と徹底した教材研究を行い、膨大な歴史的エピソードを収集した。そして授業に幅と深みを持たせるべく、要所、要所にコラム的にエピソード等の肉付けを行っていった。
そうこうしていくうちに、生徒の目が輝き、興味津々と私の授業に聴き入ってくるようになってきた。教える側としても自らの説明に酔いしれていく。そんな楽しい授業になっていった。
しかし、その指導法には最大の欠陥があった。それは教材研究をすればするほどネタが増え、これも教えたい、あれも伝えたいと、のめり込み、進度が遅々として進まなくなってしまうことだった。幸いにして、その学校は大学受験者が皆無で、100%就職する学校であったので、教科書を終わらせなくても何とかなった。
そんな訳で、進度そっちのけで、生徒の興味・関心を重視していく授業を展開していった。そして、年に何回か「特別講義」なる“興行”も張った。生徒からの要望というより、教師として生徒に伝えたいこととして、講義を企画した。
例えば、「新春特別講義」と銘打って、テーマに「武士道精神と日本刀」「米と日本人」「菊の紋のベールを剥ぐ」「ザ・死刑」「国旗・国歌」などを扱った。
さすがに、教室に日本刀を持ち込んだり、君が代を流したりしていたら、安保世代の先輩教員からは、学校教育に「大和魂」や「君が代」は相容れないなどと苦言を呈された。また一部組合員の中からは、“右翼”のレッテルを張られもしたが、お構いなしに我が道を進んだ。