そして私も死んだら、阿弥陀如来に連れられその場所に行きたいと思った。
えりちゃんもきっとその場所で、幸せに暮らしているに違いないのだから。
良い行いをしていたら、私もそこに行けるのだ。ままごともあやとりも一緒にできるに違いないし、千代紙で母に教えてもらった姉様人形も作ってあげようと思った。
ばっぱの背中から眺めた夕暮れの山並みの向こうにあるものとえりちゃんと極楽浄土への憧れ。目には見えないけど、すべてにつながる不思議な世界があるような気がした。
それは今も私の心の奥底に続いていて、会津の夕暮れの山並みがあまりにも美しい群青色に染め上げられると、じっとしていられなくなり、山並みを追いかけるように、車を走らせたりする。夕暮れの薄紫の雲を眺めると、ある種の陶酔に襲われる。
そしてずっと後になって、当時の私に再会したような詩人に出会った。
『お佛壇』 金子みすゞ
お背戸でもいだ橙も 町のみやげの花菓子も
佛さまのをあげなけりゃ
私たちにはとれないの(中略)
忘れていても 佛さま
いつもみていてくださるの。
だから私はさふいふの
「ありがと、ありがと、佛さま」
黄金の御殿のやうだけど
これは、ちいさな御門なの。
いつも私がいい子なら
いつか通ってゆけるのよ。
本堂の隣には、小さな薬師堂が建っていた。
雑巾掛けをしながら、時々窓から身を乗り出して、薬師堂を眺めるのも好きだった。
雪深い奥会津の春は遅いので、雪が溶けてやっと芽吹いてきたばかりの薄い緑の中を、風が通り抜ける日はたまらない幸せに満たされた。初秋には、水引草がたくさん咲いた。米粒ほどの赤い小花を見ると、赤い表装の阿弥陀如来となぜか重なって、(えりちゃんにはきっと会える、また会える)と何度も思った。
黄昏の空が哀しいほど、赤く染まった日もあった。
後に修行僧の生き方に惹かれ、高校時代禅寺に通ったことも無縁ではなかったような気がする。
私の中には、幼い日から「生と死」の問題と宗教的なものが存在していたような気がしてならない。あの頃は貧し過ぎたのだ。えりちゃんのお母さんがどんなに悔やみ、悲しんだのか……。幼い頃私は気がつかなかった。