傘の行方がこのままわからなくなっても、あの人の手元にあるならば、そのままでもいいような気がしていた。望風の傘をあの人が持っていると思うと、なんだかそれだけでつながっているような、二人だけの秘密のような、そんな強みになる。
あれから数日後、望風は、放課後YOURHEARTへ向かった。向かう途中は、控えめな期待とともに、妄想をふくらませた。YOURHEARTが見えてきた。立ち止まる。数日前の衝撃がよみがえる。なんだか胸が苦しくなった。ただ見つめ合っただけ。見つめ合うには、とても長く感じたあの時間は、一体何だったのか。一体何だったのだろう……。
難問ではあったが、愛おしくなるような疑問だった。身体じゅうの血管を流れる血液が、トマトジュースのように鮮やかにドロドロになったように、快感だった。胸の奥が熱い。忘れられない。何度も何度も思い出して、忘れないように記憶した。
見つめ合った玄関から、視線を窓越しの店内に向けた。三分の二程度のテーブルはうまっているようだ。あの人がいるかどうかはわからない。平静を装って店の中へ入った。あの人は、いないようだった。期待を控えめにしていて正解だった。いつものカウンターの左端に座って、ふうーっと壁に寄り掛かった。無駄な緊張が溶けた。キッチンの奥の方にいたともみさんが、望風を見つけてカウンターまででてきてくれた。
「もーかーちゃん」
と、小学生みたいに言ってくれた。語尾にハートのマークがつきそうなくらい、可愛い声と可愛い呼びかけだ。ともみさんは、歳は四十代前半だけど、見た目は二十代後半か三十代前半くらいに見える。可愛くて、ほんのり色気もあって、笑顔が素敵で、トークがお茶目で、料理もうまくて、センスもよくて……。望風にとって、憧れの女性だった。