ローマは一日にして成らず

サンピエトロ寺院の一階まで戻り、今度はクーポラの下へ出た。大勢の信者が往来している真ん中で、コーラスを歌っているアジア系の子供の一団があり、近づいてみると台北から来た子たちだった。バチカンは台湾と国交を結び、北京政府を認めない数少ない国の一つである。

法王領を出て、次はタクシーでテンピエット堂へ向かった。このあたりはトラステベレと呼ばれて、かつては治安が悪くて、八年前に来た時など絶対に足を踏みいれないよう注意をされたりしたが、現在は安心である。これはイタリア経済の立ち直りの証拠であろう。目的地に着くとタクシーの運転手に初めてのイタリア語で話し掛けた。「写真を撮ってくるので、ちょっと待っていてくれますか」。

すると運転手は腕時計を指して何分間かとジェスチャーで聞き返してきたので、こちらは暫し立ち往生したが、英語を交えて何とか話はついた。イタリア人は長年、他国に征服されつづけてきたせいか、他国人の言葉、ジェスチャーを理解するのが実にうまい。反面、アバウトでいい加減なところもあるが、何よりも気取りがないせいで気楽でつきあいやすい。

テンピエットは可愛いお堂だが、盛期ルネッサンスを代表するブラマンテの傑作である。円柱に囲まれた円堂だが、鶴舞公園の噴水や稲葉地の給水塔の原型がこれであることを知っていると興味がわく。

その後、ナボーナ広場でツアーの人たちと合流し昼食後三越を経て、ひさし振りのトレビの泉を見て、そこからスペイン広場の「小舟の噴水」まで徒歩で行ったが、この経路こそ古代ローマのヴィルゴ水道の「水道みち」なのに気がついた。設備業の商売柄、無意識のうちに勾配を測っていた。やや上流に対して下り坂なのは、サイホンを形成できる水圧があることが推察できた。

この先にショッピングで賑わうコンドッティ通りが続くが、この言葉も水道のコンダクト(導管)の語源だと言われる。ローマには古代水道の巨大なアーチ橋が郊外に見られ、古代には十一本の水道があった。そのうち市内では地下鉄で行ける範囲で、クラウディア水道のアーチが見られるらしいが、付近に悪名高いロマ人の子供の根拠地があると聞いて、見物をあきらめた。

翌日、蒸し暑いなかをフォロ・ロマーノを見て歩き、誠にローマは一日にして成らず、と実感した。ここでは八年前に修復中だったトラヤヌス帝の記念塔が見事に再建されて、その精巧な浮き彫りが見られたのは嬉しかった。