肥前藩 宮さん宮さん

ところで肥前藩である。肥前藩ではここでもポーハタン号に5名、咸臨丸に2名を潜り込ませたという。ポーハタン号に7名、咸臨丸に1名という説もあるようである。各藩がポーハタン号に潜り込ませた藩士などは全部で14~15名と言われるので、そうだとすると肥前藩の人間の割合は相当なものである。

1861年には、幕府の遣欧使節団の派遣があったが、この時も肥前藩から数名が加わっている。

また、1866年には、幕府による海外渡航の禁止が解かれたが、それ以前、1863年には長州藩が、1865年には薩摩藩が、密航の形でイギリスに留学生を送っている。奥羽越諸藩としては、会津藩から3名が欧州へ出立したのは1867年になってからであった。

1867年パリで開かれた万国博覧会には、幕府と薩摩藩と肥前藩とが出品している。

今後、薩長2藩ならぬ米中2国が世界の覇権を争っていく中で、日本は世界の人々から「日本には林がある」と言われていくのであろうか。