戊辰戦争

昨年(2018年)は、戊辰戦争から150年目であった。

鹿児島県や山口県では、これを「明治維新150年」として、一方会津若松市や米沢市などでは「戊辰戦争150年」として、記念の企画展などが催された。NHKテレビでは、西郷隆盛を主人公とする大河ドラマが放映された。

せっかくの150年目の機会が、旧態依然の「郷土の偉人」の賞賛で終わったということはなかっただろうか。

「偉人」たちの「活躍」の陰で命を落としていった多くの人たちにも多少は御裾分けの光が当たっただろうか。

巡礼 会津若松Ⅰ

会津若松は、60年ほど前、学生の頃に一度訪れたことがあったが、どのような街だったかは完全に記憶から消えていた。

明治150年を迎えるにあたり戊辰戦争について色々読むうちに、非業の死を強いられた当時の会津の人たちの墓やゆかりの地を訪ね、短い時間ではあっても、それらの人々の霊と空間を共にしたいと思うようになった。

最初は一昨年9月末、その後雑用に日を取られて冬となり、雪の消えるのを待って2回目が昨年の3月、それでも訪れるべき所を回り切れず、2カ月後の5月にもう一度と、結局会津若松行きは3回となった。

東京駅を朝6時40分発の東北新幹線「やまびこ」に乗ると、8時21分に郡山駅に、磐越西線に乗り換えて9時40分には会津若松駅に着く。

磐越西線は、磐梯熱海駅を過ぎると山間に入り、トンネルをいくつか抜け、中山峠付近の信号所でしばらく停車した後は、カタンカタンと足取りが軽くなる。

視界が開けて左手が茫洋となるのは、列車からは見えないが、猪苗代湖があるのであろう。

次いで前方に磐梯山が現れ、列車はその山裾をめがけて突進する。

翁島駅を過ぎると列車は蛇のようにうねって進む。磐梯山が前方に見えたり後方に現れたりする。翁島の辺りが標高540メートル、会津盆地はそれが200メートル。この標高差を克服するためであろう。

会津盆地に下りると、列車はその東の端を南に走る。